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はじまりの朝と、さよならの月夜(2)

気付かれたかもしれない。手遅れかもしれない。だが、どちらにせよ躊躇している余裕はなかった。
ともかく治安局員に気付かれないうちに(気付かれていないとするのならば)、森の中に身を隠してしまわねばならない。
「急げ…!」
「ちょ、ちょっと待ってネズミ」
力まかせに腕を引っ張られ、足元の濡れた落ち葉に足をとられ、紫苑の上体がつんのめる。
「うわっ」
手を差し出す暇もなく、ネズミの背後で紫苑がべしゃりと顔面から落下した。
「何やってんだ、あんた」
「きみが引っ張るからじゃないか!」
「あんたがもたもたしてるからだろ!」
怒鳴り返され、紫苑が憮然としながらも顔の泥を拭い、立ち上がる。膝が伸びるなり、途端に顔を顰めた。
「…っ」
「どうした、怪我したのか」
「いや。膝を擦り剥いただけだ、大丈夫」
「血が出てるぞ」
白い両の膝小僧から流れる血を見て、ネズミがやや心配げに言う。紫苑はむすっと頭を振った。
ゆうべのネズミの怪我に比べれば、まったく心配されるような傷じゃない。それなのに、痛みについ顔を顰めてしまった自分が何だか情けなく思えたのだ。
「平気だってば。それより行こう、ネズミ」
軽くびっこを引きながら、先に立って歩き出す紫苑の背に、ネズミが溜息を一つつき、肩を竦める。ゆうべも思ったが、顔に似合わず案外気が強い。
そして、一度振り返り、治安局の車が向かった先が紫苑の邸だったことを確認する。
まずい。このままでは、すぐにこの森にも捜索の手が伸びるだろう。
ネズミは、足早に紫苑を追い越すと、その前へと回り、背を向けて腰を屈めた。紫苑が驚いたように立ち止まる。
「掴まれ」
「え?」
「ほら。おれの肩に掴まれって言ってるんだ」
「きみにおぶされって言うのか」
「ああ、そうだ」
「ぼくは大丈夫だって言ったじゃないか」
「あんたがそんな風にのたのたしてたら、あっというまに捕まるだろうが」
「で、でも」
ネズミの背を見下ろし、たじたじと後退しそうになる紫苑に、やや苛立ちながらネズミが声を荒げる。
「のろま! さっさとしろよ!」
「だって、きみの方が背が小さ…、うわあっ!」
紫苑の言葉の終わりを待たず、ネズミが紫苑の両腕を強引に引き、自分の肩へと担ぎ上げる。投げ飛ばされそうな勢いに、紫苑の腕が反射的にネズミの首へと回された。無意識に思いっきりしがみついてしまい、紫苑の頬が自然と赤らむ。
「それでいい」
「ネズミ…っ」
「走るぞ! ともかくあんたはそこでじっとしてろ!」
言うが早いか紫苑の両腿を身体の横で抱え直して、ネズミが猛スピードでなだらかな丘を駆け出した。
リュックを背負っている上、手に靴まで持った紫苑を小さな背に担ぐのは、どう考えても困難のように思えたが、ネズミは軽々と紫苑を抱え、一気に斜面を駆け上っていく。ふらつきもしない。
「ネズミ! きみ、怪我してるのに、こんなこと、して、また傷が開いた、ら、どうす……っ」
「うるさい、だまってろ! 舌かむぞ」
「……もう噛んだよ」
「は!?」
「…今、噛んだ」
答えてきた情けない声に、ネズミが一瞬ぽかんとし、それから走りながら肩を震わせてくくっと笑う。
まったくもって、笑っている場合ではないのだが。
こんな時にでも発揮される、紫苑の天然っぷりがおかしかったのだ。
そうして走っているうち、もともと自身が計画した逃走ルートから大きく外れていることに気付いたが、それでも、どうしてだか逃げのびられる、そんな気がしていた。
紫苑となら、このままどこまでも行ける気がしたのだ。二人なら。
それこそ、この青い空の果てまで駆け上がって行けそうな――。
が、無論それは妄想で、現実的にはかなり危機的状況であることは確かだった。
このまま丘を上りつめても勝算はない。
それどころか、目指す地下水路の入り口まで、気の遠くなるような遠回りをしなければならなかった。
「ネズミ、ネズミ」
ネズミの耳元で、紫苑が呼ぶ。
「何だ」
「丘のてっぺんの方に、丸い形のこんもりした茂みが見えるか。ほら、あれ。アオウミガメの甲羅みたいなカタチ」
「アオウミガメの甲羅がどんなかおれは知らないが、あれがどうした?」
「あそこに向かって走ってくれ」
「は?」
「いいから!早く!」
耳元で声高に命じられ、ネズミがむっとなる。
「ヒトにおぶさられてる割には態度でかいな。あんた」
「いいから急いで。あっちだ!」
言われるままに大きな丸い茂みに辿りつき、こっちだと指差す方向へと向きを返る。確かに大ウミガメの甲羅のような形をしている。
「山側の方に、子供がやっと通れるくらいの抜け道があるんだ」
「妖精が通る道か?」
「さあ、それはどうか知らないけど」
「で?」
「この奥だ。あ、ここで降ろして」
「おい、こら」
しゃがんだネズミの頭の上をぴょんと飛び越え、紫苑が素早く身を小さく屈めて茂みの奥へと分け入っていく。何が何だかさっぱりわからないが、ネズミも仕方なく後に続いた。
「あった…!」
かなり奥に入った辺りで、紫苑が嬉しそうな声を上げた。手招きされて近づけば、足元に丸いマンホールのような蓋が見える。
「なんだ、これ」
「ちきゅうのふた!」
「は、蓋?」
「って、ぼくは呼んでるんだけど」
「開くのか?」
「前やってみた時は開かなかった。…う、やっぱり固いな」
「どけ、おれがやる」
紫苑に代わって、ネズミが蓋にある二箇所の錆びた取っ手に指をかける。息を吐き、思いきり引き上げた。
「うわー開いた!!」
持ち上がった蓋を見て、紫苑がすごいすごいと手を叩き、歓声を上げる。ネズミは蓋を横にやり、注意深く中を覗き込んだ。
まるで地中深く埋め込まれた煙突のようだ。だが、遥か下方に微かに光が見える。
いぶかしむネズミを置いて、意気揚揚と紫苑が穴へと滑り込んだ。内側にある梯子にそろっと足を下ろす。どうやら崩れ落ちはしなさそうだ。
「中に入るぞ。ぼくが先に行く」
「ちょっと待て、大丈夫なのか。此処はいったい」
「うん、たぶん大丈夫。入るのは初めてだけど」
「中に何が…おい紫苑。リュックが引っかかる。おれに寄越せ」
「ありがとう」
紫苑の手からリュックを受け取り、上から注意深く下を見ながら、ゆっくりと、人一人がやっと通れるくらいの直径の、特殊コンクリートの筒状の穴の中を、今にも折れそうな鉄梯子を伝い降りていく。人の気配はない。
「ここさ、沙布のおばあさまから、ずっと前に聞いて」
「さふ?」
「あ、友達なんだ。幼馴染みの女の子。その子のおばあさまが、このあたりの地下には旧式のシェルターが埋まっていて子供の頃よく遊び場にしてた、って言ってたんだ」
「シェルターだって?」
「うん。ぼくも聞いた時はもっと小さかったから、よくわからなかったけど。おばあさま、今はおっとりした雰囲気の人なんだけど、大昔はおてんばだったんだって」
「へえ」
そんなばあさんのことなど知るかと思いながら、やっと深い地下に降り立てば、穴は今度は真横へと続いていた。
二人で顔を見合わせ、今度は四つん這いで横穴に入る。ほどなくして、大人が立てるくらいのドーム型の部屋に出た。案外広い。
部屋の奥には古い扉があった。錆びたそれを開けば、コンクリートで作られた棚があるだけだ。どうやら貯蔵庫に使っていたらしい。
壁に埋め込まれた操作パネルは、旧式過ぎて紫苑たちにはさっぱり理解できそうにない。
もっとも、仮にどんな高性能な設備が整っていようが守りが頑丈だろうが、一切無駄ごとのように思われた。
見上げれば、その天井には、ぽっかりと丸い穴が空いていたのだ。
長く時間が経つ間に、自然と崩れてきたのだろう。
だが、光が差し込む分、明かり取りにはちょうど良かった。
もっとも雨が降れば、中で傘をささなければならないけれど。(水はけは良好のようだ)
「すごい、おばあさまの言ったことは本当だったんだ」
「しかし、よく正確に場所まで覚えていたな」
「うん。おばあさまの記憶力はすごいんだ」
「じゃなくて、あんただよ。子供のころに聞いたきりだったんだろ。ましてや、今、どうなっているかわからない」
「うん。でも実は、前に一度この茂みまでは来たことがあったんだ。でも、どうしてもあの蓋が開けられなかったからあきらめて。そのまま、ついさっきまで忘れてた」
「それが、おれなら開けられたわけだ」
「うん?」
「あんたの力じゃ、さっきも開かなかった。けど、おれの方がチビだって言ったくせに、おれの方があんたより腕力があったってことだろ」
「…こだわるなぁ」
リュックを床に置いて、紫苑が壁にもたれて腰を下ろす。ともかく、ちょっと一息つきたい気分だった。
隣ではネズミが、紫苑が持ってきた靴に足を入れているところだった。にやりとする。
「あんたみたいななまっちろいガキに、チビとか言われたくないからな。言っとくが、今にあんたの背を抜くぜ。ほら、見ろよ。おれの方が足がでかい」
「うそ、本当に!?」
確かに紫苑の靴は、ネズミには窮屈なようだった。紫苑がぷいっとそっぽを向く。
「足が大きいからって背が伸びるとは限らないだろ」
「けど、統計的にはそうだ。ま、せっかくだから有難くもらっとくけどな。ちょっと窮屈だが我慢してやる」
「本当に、きみは感心するほど口が悪いな、ネズミ」
「それはどうも。けど、あんたもそんなに人のことは言えないぜ?」
「え、そうかな? はじめて言われたけど」
その言葉を肩を竦めてやりすごし、ネズミが膝を伸ばして坐っている紫苑の前に回る。リュックを指差した。
「救急ケースは持ってきたのか?」
「ん? あるよ。ほら」
引き寄せたリュックの中から、見覚えのある白いケースが登場する。ネズミが、そこから消毒液と綿とガーゼを取り出した。何も言わず、紫苑の膝の傷の手当てをはじめる。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。しかし、用意周到だな、これ」
「だって。またきみが怪我をしたら困るだろ」
「それはありがとう。っていうか…あんた、おれが怪我をするのを期待して追いかけてきたんじゃないのか」
「へ? まさか」
「そうかな。ゆうべ血管縫合してた時、あんた、相当顔がにやついてたぜ?」
「ま、まさか、そんなことないよ。必死だったんだからな。そりゃあ、ちょっとは興奮したけど…!」
弁解しながら、紫苑の顔がかあっと真っ赤になる。くすりとネズミが笑いを漏らした。
「ちょっとでも充分だ」
そら終わったぞと、ケースを紫苑の手に返す。驚くほど手際がよかった。
「ところで、これからどうする。VCチップが、まだきみの体内にあるんだろ?」
「取り出す手術をしてやるとか、恐ろしい発想はなしにしてくれよ」
「さすかにそこまでは」
「それは助かるな。もっともあんたに手術してもらわなくても問題ない。今は作動していない。本来、犯罪者を識別するためのものでしかないからな。探索システムを使ったところで、正確な追跡は不可能だ。もし確実に追跡できるなら、おれの潜伏場所を特定するのに一晩もかかったりしない。あんたの邸に忍びこんで一時間もしない上に、治安局がどかどか邸に押し行っている筈だ」
「なるほど」
「想定外のことには弱いのさ。この聖都市は」
そして、物事の表面。きれいなところだけしか見ようとしない。目に見えないところにある汚れは、最初から視界に入れず見ようともせず、なかったものとして処理される。それがNO.6の正体だ。
もっともそのおかげで、地下の下水道や廃棄ルートやこの旧式シェルターなどが充分に活用できるわけだけれど。
「だから問題は、おれのVCチップじゃなくて…」
ネズミが、そこでいったん言葉を切った。
濃灰色の瞳が一瞬だけ鋭くなり、紫苑の腕のブレスレットを見遣った。
NO.6の市民登録番号が刻まれたブレスレット。これだけは、市により徹底管理がされている。
つまり紫苑といる限り、ネズミの居場所も治安局に筒抜けというわけなのだ。ほどなくして、此処も発見されるだろう。
ネズミに要求されるニ者択一は、以下だ。
紫苑を此処に置き去り、一人で逃げる。
もしくは、そのブレスレットを捨てさせ、紫苑とともに逃げる。
選ぶべきは、当然前者の方だった。
迷わずそうするべきだと、ネズミ自身が一番よく知っている。
連れていったところで、紫苑の身を危険に晒すだけだ。今なら間に合う。
このまま放置していっても、治安局が安全に保護するだろう。今の状況では、紫苑は犯罪者に連れ回されたただの被害者だ。(紫苑が余計なことを喋らなければ、という注釈はつくが)
――だが。
身体の横で、ぎゅっと拳を握る。
相反する心の声も、ネズミには聞こえていた。

ずっとじゃないことは、わかっている。
西ブロックにつれていけないことも知っている。
だが、一度別れたら二度と会えないかもしれない。
だったら、せめて、あと少しだけ。

だが、その少しが命取りになる。それも良く熟知していた。
ましてや市民権を放棄させることは、それこそ紫苑の未来をこの手で潰してしまうことになる。一度捨てれば、紫苑は二度とNO.6の市民権を得られない。
唇をきつく噛み締める。考えている時間はない。
(―だめだ。やっぱりここで別れるしかない)
苦悩するネズミがやっと意を決し、顔を上げた瞬間、紫苑が立ち上がり、にっこりと微笑んだ。
ネズミの目前で、静かに腕からブレスレットが外される。
濃灰色の瞳が驚愕に見開かれた。
「待て、やめろ! 何、やってんだ、あんた…!!」
止めようとするネズミの手を制して、紫苑が首を横に振る。か細い悲鳴のようなエラー音とともに、ロックが解除された。
「ぼくたちが生き延びるためだろ、ネズミ。だったら、代えられるものなんかない」
微笑さえ浮かべてきっぱりと言う紫苑に、差し出されたブレスレットをネズミが震える手で受け取る。
「馬鹿だ、あんた…! 何もかも、今日までの何もかもを失うことになるんだぞ…!」
「覚悟してきたつもりだけど」
「二度とママのところに戻れないかもしれない」
「それは…母さんに申し訳ないと思うけど。でも」
「…でも?」
惑う眼差しの前で、紫苑がまっすぐにネズミの瞳を見つめ返して、凛として告げた。

「きみといたい」

「…紫苑」
「うまくいえないけど、今は、それだけだ」
告白に微笑む紫苑とは裏腹に、やや苦しげに、絞りだすようにネズミが言う。
「きっと後で後悔する」
「後から悔やむから後悔っていうんだろ。でも、今はずさなかったら、きっともっと後悔する。なんであの時、あんなものにしがみついてたんだろうって」
「…あんた。見た目と違って、意外に肝が据わってるな」
「そう? そうかな」

あんなもの、か。
NO.6の住人でありながら、そう言いきれるあんたの強さは何なんだ。

胸中で呟き、くすりと笑む。
天井から入ってくる風が、肩まで伸びたネズミの髪をふわりと揺らした。
「わかった。あんたの悪いようにはしない」
決意のように紫苑の瞳を覗いて、静かな声音でネズミが言う。瞳から惑いは消えていた。
「うまくやるさ」
「ネズミ?」
「ここで一人で待てるか?」
不敵な笑みを浮かべた唇で告げ、ネズミが踵を返す。
「どこに行くんだ。僕も…!」
「いや、あんたはここで待て」
きっぱりと言われ、その顔に決意めいたものを見て、紫苑が思わず両手でネズミの腕を掴んだ。
「一人で危険に飛び込む気なのか! だめだ、そんなこと!」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃない、一人じゃだめだ!」
「必ず帰ってくる」
「ネズミ…」
不安に揺れる瞳を諭すように見つめて、ネズミの手がそっと紫苑の肩にかけられる。見つめてくる濃灰色の瞳は、初めて見るほど静かな深い色をしていた。
一瞬波立った紫苑の心が、ゆっくりと、やさしくなだめられていく。
「大丈夫だ。必ず、あんたのところに帰ってくる」
ネズミのきれいな指がそっと紫苑の髪を撫で、その身体を腕の中に包むように抱き寄せる。
ほんの少し踵を上げると、紫苑の額に誓いのようにキスをした。
「約束する」
紫苑が目を閉じ、はにかむように微笑んだ。頬が桃色に微かに色づく。ゆっくりと瞳を開いた。
「わかった。きみを信じる」
「ああ」
「けど、無茶はしないでくれ」
「わかってる。ま、あんたほどの無茶なやつなんて、そうそういないけどな」
「ネズミ…!」
「夜には戻る」
そう言い残すと、もう一度紫苑の腕を引いて頬に口づけ、素早く背を向けた。紅潮している横顔を紫苑に気付かれたくなかったのだろう。
再び地中に埋まった煙突をよじ昇り、地上へとひらりと踊り出る。
見れば、予想通り、治安局の局員たちは丘を登り始めているところだった。
その視界に入るように、ネズミが猛然と走り出す。
追っ手を撹乱するためには、少なくともこのあと半日、ネズミは走り回らねばならなかった。
だが、紫苑がいる。
それだけで、地球の一周でも全力疾走できそうなほど、ネズミの全身は躍動し、心は躍っていたのだった。



(つづく)





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