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はじまりの朝と、さよならの月夜 ~エピローグ~







濁流が穏やかな流れに変わると、そこは、もう西ブロックであることを意味していた。
汚水から、流れの縁へと上がり、ネズミは激しく咳込んだ。口の中も顔も皆べたついていて、不快でたまらない。汚水を吸い込んだ服も、身体も、鉛のように重かった。
それでも立ち上がると、水路の脇の通路に上がり、ネズミは歩き出した。
まだ先は長い。休んでいる暇はなかった。
残り半分の道のりを、ネズミはぼんやりと、ただ歩いた。
思考回路が完全に停止していた。
何も考えられない、感じない。
自分が息をしているのかどうかさえ、よくわからない。
強い光を宿していた濃灰色の瞳も、今は虚ろだった。
あのNO.6から無事帰還したというのに、逃げきったという達成感も、ざまあみろという高揚感も何もない。
胸の中は、ぽっかりと穴が空いたように空虚だった。

あの日。
老婆が殺され、矯正施設に連行され、その後はまさに激動の日々だった。
思い出したくないことばかりだ。
忘れようにも、忘れられない。
忌まわしいことばかり。
それなのに。
血の泡を吹いて息絶えた老婆の顔も、矯正施設の暗闇で出逢った老の顔も、ろくに思い出せない。
ただ、思い出すのは。

『手当てしてやるよ。手・当・て。わかるだろ?』

『ネズミ? …なんか、違うけど』

『すごいな、これ。押さえる神経の場所とかあるんだ?』

純粋で無垢な笑顔。
あんな顔を人がするところを、初めて見た。

おかしいな。
なんだってこうも、あんたのことしか思い出せないんだろう。
おれの忌まわしいの日々の記憶を塗り替えるほど、あんたの天然は、ずば抜けてひどかったんだ。
きっとそうだ。
考えて、口元が笑む。
だが、次の瞬間。いびつに歪んだ。

「あんた、馬鹿だ。正真証明の大馬鹿だ…」

汚水のプールに落ちていく、その刹那。
ネズミは見たのだ。
紫苑の唇が声を出さずに、
『う、そ、つ、き』
と動いて、そして、涙を溜めながらふわりと微笑むのを。
(なんでそんな風に、おれの全部を赦すみたいに笑えるんだ、あんたは――)
唇を噛み締める。
血が滲んでも尚、きつく噛み締めた。
胸が痛い。
喉と眼球が熱い。
それでも堪えた。まだ膝を折るわけにはいかなかった。
ここで歩みを止めてしまったら、辿りつけない。
どこにも。





ネズミの捜索は、すぐに打ち切られた。
この汚水の中を泳ぎきって、まさか西ブロックに逃れるなど有り得ない。出来る筈がない。
VC103221は、逃走後、ゴミ処理施設の汚水に落下し、死亡した。
たぶんそんな風に処理され、この一件は終わるのだ。
もっとも本音は、一刻も早く、悪臭漂うゴミ処理場を出たかった。それに尽きるだろうけれど。
そして、紫苑は車に乗せられ、治安局内の医療施設で怪我の手当てを受けた。出血が止まってしまえば、それは傷も残らないほどの軽傷だった。
傷が残らないと聞いて、紫苑は酷くがっかりした。
自分が手当てした彼の傷と、似たような場所に傷が残る。それは、記憶を記録として身体に留めておく、唯一の術でもあったのに。
彼とともに過ごした時間が確かにあったのだと、きっと、傷を見るたび鮮明に思い出しただろう。
(そんなのがなくても、絶対、忘れることはないだろうけど…)
それでも、証は欲しかった。
宝物にしたかった。
そして、傷の手当てが済むと、今度は長時間に及ぶ事情聴取が待っていた。
どのようにVCと遭遇し、拉致されたか、執拗に問われた。
『VCとの関係は?』
関係…。
それは、むしろ紫苑の方が問いたかった。
ぼくたちは、いったいどういう繋がりだったんでしょう?と。
そして、なぜ彼が矯正施設につれてこられたのか、どうしてVCと呼ばれていたのか、西ブロックで何があったのか。
彼がどこで生まれて、どんな風に生きてきたのか。
親や兄弟はどうしたんだろう。家は? 
知りたい、聞きたいことばかりだ。
だが、当然のことながら、紫苑からの質問はすべて却下された。逃走幇助についても、意志を述べることは許されなかった。
ネズミとの一連のやり取りを聞いていた局員らは、一様に紫苑に同情的だった。
育ちの良い坊っちゃんがVCにそそのかされ、逃走の手助けをし、言われるままに人質になり、挙句にこっぴどく裏切られた。
その様は、大人たちの目に、ひどく哀れに映ったようだった。
いくら自らの意志でついて行ったと主張しても、取り合ってはもらえなかった。
大丈夫、きみは騙されていたんだ、咎めはない。もう忘れなさい。そう言って、肩を叩かれた。
苦い想いばかりが胸で広がり、紫苑は何一つ聞き入れられない無力感を味わいながら、無機質な白い壁をぼんやりと見つめていた。

やっと自宅に送り届けられ、母と再会した頃には、空にはもう夕闇が迫っていた。
抱き竦められた母の腕の中で、気力を使い果たした紫苑は脱力し、そのまま意識を失った。
もうくたくただった。疲労していた。
主に、心が。
むろん肉体の消耗と疲労も著しく、母の呼びかけに声を発すことさえ、もう億劫だった。
そして、手首には一度捨てたはずのIDブレスレットがあった。
自ら望んで外したのに。
再び、装着することは屈辱だった。
だがこの先も、此処で、NO.6で生きていくためには、どうしてもこの枷が必要なのだ。
自由を奪われ、都市に支配されるための、手枷が。
悔しさに涙が滲む。
幼い自尊心は、ズタズタに傷つけられていた。






西ブロックに辿りついた時には、もうすっかり空は暗くなっていた。地上に続く通路の扉を押し上げ、辺りを窺う。
眼下には、バラックの屋根が連なり、荒廃した町並みが濃い闇に沈んでいた。
その遠くに壁が見える。
NO.6の内と外を隔てる壁。
そして、紫苑とネズミを隔てる壁が。
戒めのように、そびえ立つ。
特に郷愁を覚えるわけでもない、見慣れた西ブロックの風景を見下ろし、風に髪をなぶられながら、ネズミが遠い瞳をした。
紫苑。
あんたなら、この風景を見て、何というだろう。
何を感じるだろう。ぜひ聞いてみたかった。
そして、隣に立って、此処から夜空を見上げたら。
あんたはどんな顔をしただろう。
小さな星のさざめきさえも肉眼で見える、この野性の空を見て。
頬を染め、大きな瞳を輝かせるだろうか。
言葉にならない感動を、何とかネズミに伝えようと、四苦八苦するだろうか。
その様が目に浮かぶようだ。
フ…と瞳を細め、ゆっくりと天を仰げば。
瞑い空には、半身をもぎとられたような、半分の月があった。放心して見上げる。
「――」
青白くぽっかりと空に浮かぶ半分のそれは、まるで己の心のようだ。
突如として、ぐっと、想いが胸をせり上がってきた。
堪えていたものが込み上げてくる。
ネズミは、月を見上げたまま、がくりと両の膝をついた。
「……くッ」
胸を突き上げ、突き破るように、痛みが、切なさが、押し寄せてくる。
瞠目した瞳を涙が溢れた。
それは奥歯を噛み締めても、唇を噛み締めても、両手で強く口を塞いでも、堪えようがなかった。
涙がこぼれた。
あとから、あとから、頬を流れては、西ブロックの荒れた大地にぽたぽたと落下した。


失いたくなかった。
別れたくなかった。
置いていきたくなんかなかった。
離れたくなかった。
あんたをここにつれてきたかった。
ずっといっしょにいたかったんだ。
傷つけたくなんかなかった。
もっとやさしくしたかった。

せめて最後に一言だけでも、
あんたに本当の気持ちを伝えたかった。


畜生、ちくしょう、どうしてなんだ、ばかやろう…! 
どうして、どぉして、どうしておれは……!


「ウ…ワァアアァアア――…」

それは獣の咆哮のような慟哭だった。
大地を拳で殴りつけ、ぽろぽろと涙をこぼし、ネズミは幼い子供のように泣きじゃくった。
失いたくないものと知りつつ、自ら手を離した。
手放した。
後悔と悔しさで、胸が張り裂けそうだった。
 

やがて、西ブロックの空から月が去り、厳かな黎明が訪れるまで。
涙は枯れることなく、荒れた大地を濡らし続けた。







激動ともいえる二昼夜が過ぎ去って、2度と戻ってくるつもりの無かった自分の部屋の中、紫苑はぼんやりと立ち尽くしていた。
見慣れた筈の室内が、やけに無機質に、やけに広く冷たく感じる。
もっとも、此処ももうあと数日で出ることになる。ロストタウンへの移住が決定したのだ。
これでも温情をかけてやったんだと言わんばかりの治安局高官の皮肉げな言葉に、紫苑は微笑みさえ浮かべて、それを甘受した。
特に感慨は湧かなかった。未練も無かった。
息子の無事に喜びと安堵の涙を流し、抱擁とキスをくれた母には、どれだけ心配をかけたかと、あらためて心から申し訳なく思ったけれど。

ネズミはどうしただろう?
無事、西ブロックに逃れただろうか?

考えることと言ったら、やはり彼のことばかりだ。
ベッドに腰かけ、まるであの夜の体温を探すようにシーツの上を掌で撫でる。
今はまだ、何も考えられない。
考えたくない。
NO.6で、一人迎える明日に、何の意味も見出せない。
だからといって、いつまでもぼんやり立ち止まっていたら、きっと馬鹿にされて嘲笑われる。
ほら見ろ、だからあんたみたいなお坊っちゃんは……。
口調と声を思い出すなり、胸がつまった。ぎゅっと切なく苦しくなる胸を押さえ、涙を堪える。
息苦しさを覚えて、逃れるようにベッドを離れ、あの夜と同じように窓際に立った。
息を吸い、両手で思いきり、勢いよく窓を開く。
風が入ってくる。
夜風がふわりと紫苑の頬を撫でた。
―ちがう。こんなのじゃない。
ぼくが欲しいのは、頬を打つ激しい雨と心を揺さぶられる激しい風だ。
痛いほどの嵐なのだ。
唇を噛み締め、バルコニーに出て、落胆したように空を仰ぐ。
刹那、瞳がはっと見瞠られた。
星の少ない明るい空に、ぽっかりと、半分に引き裂かれたような青い月が浮かんでいた。

まるで、ぼくの心のようだ。
だって、半分は、きみに持っていかれちゃったから。

心で呟いて、笑おうとして、ふいにくしゃりと顔が歪む。微笑みがいびつなまま引き攣った。
大きな瞳を涙が溢れる。嗚咽が込み上げてくる。

胸がいたい、胸がいたい。
どうせなら、半分なんて、言わないで、
全部、ぜんぶ持っていってくれたらよかったのに。
どれだけ傷ついても、傷つけられても、それでもよかった。
きみといっしょの方がよかった。
たとえ、殺されたとしても。
きみと一緒が良かったんだ。
一緒に生きたかった。
そばにいたかった。
別れるなんて嫌だって、言えばよかった。

うそつき、ぼくをかばって冷たいふりなんかして、
ばかだ、馬鹿だ、きみは本当に。
どうしてそんなに、やさしいんだ、ばか。
忘れられなくなっちゃうだろ、ひどいよ。

淋しいよ、淋しいんだ。
いつかまたなんて嫌だ、
今すぐ会いたい、今すぐ会いたいんだ。
ネズミ―――…!


「うわぁああああああああ………っ」

手すりを力を込めて握り締め、月に向かって、あの夜と同じように叫びを上げる。
遮る風も雨音もないけれど、それでも、壁を越えて届けとばかり、声を張り上げた。
涙が、あとからあとから瞳を溢れ、頬を伝い、流れ落ちる。
それでも紫苑はやめなかった。
声が枯れても掠れても、きみに届けとばかりに声を上げた。


そうして、やがて月は去り、
NO.6にもじわじわと夜明けが訪れる。
同じ空色を塗り広げたような、
無表情な朝がまた訪れる。












そうして。
月が半月になるたびに、夜空を見上げた。

別れた日の月夜を思い出して、静かに目を伏せた。
あの闇に隠れた半身が、いまどうなっているのかと。
考えて、想像しては、胸は切なく締めつけられるように痛んだ。
 
夜を重ねて、月が氷のかけらのような薄い三日月になると、胸はますます切なくなり、やがて朔を向かえた暗闇の空に不安の涙を浮かべた。

それでも、朝は来る。
繰り返し繰り返し朝を向かえるうちに、痩せ細った月はまた円鏡のように丸みを帯びて、元の形に姿に戻るのだ。


だから、ぼくたちは期待する。
いつかまた巡り巡って、ぼくたちの出逢う『はじまりの朝』が、必ず再び訪れることを。


今夜もまた、
壁の内と外で同じ月を見上げ、想いを馳せる。






終わり。








長らくのおつきあい、ありがとうございました!





     
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