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はじまりの朝と、さよならの月夜(3)


丘を斜めに下って、再び森に入る。
突然、小さな生き物が茂みから飛び出して、ネズミの足元から駆け上がるようにして肩に回った。ネズミが、それに囁くように唇を動かす。
そいつは、『了解した』というようにチチッと鳴いた。
「行け」
命じるとともに、ネズミの肩から飛び降り、目にも止まらぬ速さで丘の上へと疾走していく。頼んだぞと背で呟いて、ネズミは逆に下を目指した。
まずやるべきは、紫苑のいる丘から治安局の目を遠ざけることだった。
が、こちらには紫苑のIDブレスレットがある。囮になるのには、それは好都合なことだった。
やつらは、人の顔などろくに見ない。記憶しない。記憶するのは、脈々と連なる数字、データだけだ。
そうして、そのすべてをNO.6で完全管理出来ていると思い上がっている。
それが、つけいられる弱点となるとは知りもせず。
(さて……しかし、こいつをどうする…)
紫苑から受け取ったブレスレットを、濃灰色の瞳がちらりと見遣る。
投げ捨てるのは簡単だ。だが今それをすることは、紫苑の未来をも投げ捨てることになる。
―自分のために、紫苑が未来を失う。
それだけは、どうして避けなければならなかった。
ネズミにとっては忌まわしいだけの聖都市も、紫苑にとっては、これからも生きていかなくてはならない場所なのだ。奪い取ることは出来ない。
ということは。
(…一芝居うつか…)
今後の紫苑のためにも。
(まったく…何をやってるんだ、おれは)
一人でこのまま、とっとと逃げれば、楽に逃げられるものを。
みすみす自ら危険に飛び込むような真似をするなんて、馬鹿みたいだ。
明日にはもう、別れが待っているだけなのかもしれないのに。
思い、瞑目する。
閉じた瞼の裏に、紫苑の顔が浮かんだ。
(―それでも)
ネズミの濃い灰色の双眸が、決意のように開かれる。
大丈夫、うまくやるさ。
紫苑に言ったのと同じ言葉を、ネズミは自分に言いきかせるように、胸の中で反復させた。





シェルターの白く無機質な壁に凭れ、紫苑は自分の頬にそっと指の先で触れてみた。そこは、微かに熱を帯びている。
ネズミの唇が、淡くふれていった場所。
まだその感触がはっきりと、紫苑の肌に残っている。
(…そういえば、昨日。沙布もぼくの頬にキスをした。母さんと同じことを、ぼくに)
ネズミも同じことをした。同じように、頬に、キスを。
だのに、変だ。
どうしてネズミのは。
ネズミのだけ、違うんだろう。
どうして、あとからじんじんと、こんな風に熱をもってくるんだろう。
どうして頬だけじゃなく、胸の奥まで熱くなってくるんだろう。
そしてぼくは、うれしい、と感じている。
ネズミの唇が、ぼくの頬にふれたことが。
(なんか……恥ずかしいな……)
思い返しただけで、頬が赤らむ。
そんなことを悠長に考えている場合ではないのに。
いや、それどころか、今まさにネズミは命の危険に晒されているのかもしれない。
追われ、銃を付きつけられて。
はっとなる。
こんなところで、じっとしていいのか。自分だけ安全な場所に逃れていていいのか。
思い、熱を持っていた胸の奥が、ひやりと冷たくなる。
ネズミは、待てと言った。
信じると紫苑は答えたけれど。
そもそもネズミは、自分のために危機に晒されているんじゃないか。
ネズミ一人なら、もっと楽に逃げられただろうに。のこのこ付いてきたばかりにこんなことに。
(ぼく、足手纏いになってるんだ…)
今更ながらに気付いて愕然とする。
そんなつもりじゃなかったのに。ただ、うまく逃げてほしかったんだ。
どこへ向かうのか、どうやって逃れるのか、手段も行く先も何も知らないし、聞かなかったけれど。
昨晩。紫苑のベッドでさっさと眠ってしまったネズミの寝顔を見て、何か手助けをしたいと思ったのだ。思ってしまった。



(寝ちゃった…)
突然、窓から入ってきた侵入者は、シチューとチェリーケーキを食べた後。
眠たいと言って、あっさり紫苑のベッドで眠ってしまった。
紫苑の首を恐ろしい力で絞めた冷たい指が、今は温かみをもって紫苑の手を握りしめている。
(あったかい…)
生きてる人間ってあったかいんだ、そうネズミは言った。
それが何を意味するのか、幼い紫苑にはまるで想像がつかなかったけれど。
でも、そんな彼が、無防備に自分のベッドで眠っている。
それがどうしてだか、とても嬉しいことのように思えた。
ぺたんとベッドの上に坐り、すうすうと寝息をたてて眠るネズミの顔をそっと覗き込む。
ぎらぎらと光る濃灰色の瞳が閉じられると、彼はなかなかに美しくやさしい面立ちをしていた。
紫苑の丸い瞳が、じっと見つめる。いくら見つめていても飽きない顔だ。
まだ少し顔色は良くないけれど、腕の傷の出血は無事止まったようだし、部屋に入ってきた時の青白さに比べれば、かなり頬にも赤みがさしていた。
(……良かった)
微笑んで、それから、額にそっとおやすみのキスをする。
よく眠れるように、と。
「………う…ん」
唇が離れるなり身じろぎしたネズミに、はっと我に返り、紫苑の両頬がぽっと赤くなる。慌てて、ネズミの傍を離れた。
(ばか、ばか、何で赤くなるんだ。おやすみのキスぐらいで)
せっかく繋いでいた手も自ら離してしまい、ちょっと残念な気がして、紫苑が広いベッドの隅で膝を抱え、はぁと溜息をつく。
――に、しても。
逃げられるのかと聞いた紫苑に、ネズミは自信たっぷりに勿論と答えた。
それがあまりに自信ありげだったせいで、きっと大丈夫なんだと信じたけれど。
でも食べるものもないし、救急セットだって。またもし出血したらどうするんだ。
ああ、それに裸足だ。靴さえ履いていない。
セーターはこのままあげるにしても。
(そうだ…!)
寝息をたてているネズミの顔をもう一度そうっと覗き込んで、起こさないように細心の注意を払いながら、紫苑がクローゼットの中から大きめのリュックを取り出す。
(うん、これなら…! たくさん入りそう)
そうして、逃亡のために必要なものを、紫苑はネズミのためにせっせと用意し始めた。



それがまさか、こんなに大荷物になるとは思わなかったけれど。
そのうえ、荷作りに夜遅くまでかかったせいで、あろうことか寝過ごして。
紫苑が目覚めた時には、もうとっくに傍らにネズミの姿はなく、開け放った窓を見て呆然とした。
用意したリュックも、当然そのまま。
だけど、落胆しながら手を伸ばしたシーツの上には、まだぬくもりが残っていた。
まだそんなに時間が経っていないのかも。今からなら間に合うかもしれない。
庭のセキュリティが解除されたままだということを確かめて、荷物と靴を持って、まるで家出のようだと思いながら自分の部屋のバルコニーから飛び降りた。(正確には、落ちた)
そうして、ネズミの足取りを追って、森に入った。
近隣の森は、まだ幼かった頃の紫苑の絶好の遊び場だった。
高級居住区クロノスは、居住権のない者の侵入を決して許さない。そのため、子供が一人で森で遊んでいようと、あまり心配されることもなかったのだ。
もっとも、そんな子供はクロノス中探しても紫苑のほかにはいなかったし、成長するにつれて、次第にそんな時間もなくなっていったけれど。

(だけど…。これじゃあ本末転倒だ)

ネズミを安全に逃がすために、追いかけてきたはずなのに。
逆に、ますます危機に陥れている。
いけない。
こんなところで、ぼんやりしている場合じゃない。
何かできるはずだ。
自分にだって、きっと、ここにこうしているよりは、役立てることが、たぶん有るはず。
キッと唇を結び、決意して立ち上がる。
そして、紫苑がシェルターの横穴に向かおうと屈んだ、その時。
「うわっ」
何か灰色の小さなものが、いきなり穴からいきおいよく飛び出してきた。紫苑が驚きのあまり、思わず尻もちをつく。
「な、な、何…!?」
そのまま、ずるずると後退する紫苑の足元で、その小さなやつがチチ…ッとかん高い鳴き声を上げた。
「え……?」
それは、ネズミの瞳の色によく似た濃灰色の小ネズミだった。葡萄色の小さな瞳が、じいっと紫苑を見上げている。
「うわあ、小ネズミだ…! わあ、わあっ、かわいいな。ほら、こっちへおいで」
初めて見る小さな生き物に、紫苑が我を忘れて興奮する。この都市には存在しないはずの、パソコンの画面上でしか見たことのない生物。
身を屈め、怖がらせないように注意しながら、そうっと床の上で手を差し伸べる。
それはやや警戒したようにしばし鼻を動かし、用心深く紫苑の掌を見つめた後。
やがて、その上にそろりと前足をかけると、紫苑を見上げ、何事かを告げるようにチッチッ…と鳴き声をあげた。
 




予想通り、庭の警報システムは切られたままだった。
猫が塀を越えただけでも高らかになる警報アラームの音を嫌って、紫苑の母は日常的にこのシステムを解除しているらしい。
もしかすると、クロノスのどの邸もそんなものなのかもしれない、とネズミが思う。
犯罪など無縁に近いこの市で、さらに万全のセキュリティ下におかれている高級居住区では、ほぼ必要ないものなのかもしれなかった。
もっとも、そのおかげで、ネズミは再び易々とこの庭に忍び込むことが出来たのだが。
紫苑の部屋の窓は、ゆうべのように全開とまではいかないが、控えめに薄く開かれていた。ネズミが用心深く、バルコニーを伝い、窓に接近する。
室内には人影があった。紫苑の勉強用のデスクに向かい、項垂れている人影。
あれが紫苑の母親・火藍か?
ネズミが、窓越しに盗み見る。
息子の身に、突然何が起こったのか。身を案じながらも苦悩しているような背中だ。
いったい何が違えたのか。特別コースに進むことが決まった息子は、ゆうべも、レポートに精を出していたはずではなかったか。だのに。
治安局から付きつけられた現実は、『VCの隠匿。その逃亡の幇助』。
しかも、現段階では行方知れず。
VCに同行しているのか、はたまた連れ去られたのか。それ以前に無事でいるのかどうなのかさえ、定かではない。
だが、治安局は前者を疑っている。もともと部屋の異物探索システムが切られていたことから、怪しいと疑いの目を向けられている。
息子から連絡が入ればすぐに当局に通報するよう、厳重に言い渡して、治安局の車は去っていった。
だが、そんなことがあるだろうか。まさか、あの子に限って。
「紫苑…」
沈痛な面持ちで呟かれた名に、ネズミの双眸が険しくなる。そして、ふらふらと部屋を出ていこうとした火藍に気付くと、素早く窓際からその背後に迫った。殺気に、火藍がびくりと振り返る。
「…VC…!」
ネズミを発見するや、声にならない悲鳴を上げ、とっさに壁の操作パネルに手を伸ばす。緊急警報システムのスイッチを入れようとしたのだ。
ああそうだ。それが侵入者を発見した時の正しい行動だ。悲鳴を上げ、逃げ、そして治安局へ通報。
紫苑はどれもしなかった。至って落ち着いていた。いや、落ち着いてはいなかったか。瞳が好奇心でらんらんと輝いていたから。
ネズミは、余裕で火藍の腕を後ろ手に拘束し、膝を付かせ、その首にナイフの刃を押し当てた。
「動くな」
低く耳元で囁かれ、身震いするほどの冷たい感触と突然の恐怖に、火藍がひっ…と息を詰める。
『慣れてるんだ、こういうこと』
紫苑の言葉を思い出した。
そう、慣れている。大人を拘束するのも、こんな風にわけなく出来る。
脅すことも。
「あんたの息子のIDブレスレットだ」
火藍の目前に、これ見よがしに銀のリングを放り投げた。火藍の瞳がさらに大きく見開かれる。ネズミの手の中で、火藍の身体ががたがたと恐慌に震えた。
「―どうして、これを…! 紫苑は、紫苑はどこ…!?」
「おれが預かっている」
「そんな…! どうして、何のために…!?」
絞り出すような叫びとともに、顔が歪んだ。瞳が震え、全身がわななく。
最愛の息子が、無理やり手首からこれをもぎ取られる姿でも脳裏に浮かんだのだろう。
確かに、自ら望んでこの聖都市の市民権を放棄する者など、きっとどこを探しても他にいない。
(…そんな変わったやつは、あんたの息子ぐらいだ)
大きなリュックを背負って、よたよたと森の中を駈けてきた紫苑の姿を思い出し、ネズミが思わず笑ってしまいそうになる。いっそ事実を教えてやりたい誘惑にもかられたが、堪えた。
それでは、IDブレスレットをわざわざ此処に届けにきた意味がなくなる。
ネズミがつい緩んでしまいそうになる口元を一度くっと結び、視線を鋭くさせた。声を低めて言う。
「あんたの息子には、おれが無事NO.6から脱出するまでの人質になってもらう」
「そんな…! お願い、紫苑…! 紫苑を返して!!」
悲痛な火藍の叫びが、部屋に響く。どこかに盗聴マイクが仕掛けられているのかもしれない。望むところだが、これ以上留まっているのは危険だ。近くに局員が潜んでいる可能性もある。
「逃走の邪魔をするようなら殺す。治安局のやつらにもそう伝えろ」
抑揚なく言い捨て、用心深くあたりを見回しながらナイフを下ろし、踵を返す。非情な言葉に、火藍が青ざめ、震える手で口を覆った。茫然自失といった体で、力なくその場に坐り込む。
それを肩越しに振り返り、、開いた窓に手をかけたところでネズミが低く呟いた。聞こえるかどうかの小声で。
「――心配するな。必ず無事返す」
「え…っ」
火藍が驚いた表情で振り返る。舌打ちが漏れた。
「あんたらが下手な真似をしなきゃな、って話だ」
言い捨て、バルコニーへと駈け出し、猫のようなしなやかさで手摺りを飛び越える。ざざっと木の葉が揺すれる音がしたと思えば、ネズミの姿は瞬く間に木々の狭間へと見えなくなっていた。





治安局の車を右往左往させた挙句、最終的にうまく撒ききるまでには、相当な時間を費やした。
IDブレスレットを手離したことで、逃走は幾分楽になるかと思われたが、どうやらVCチップもまったくのおもちゃというわけではないらしい。接近しすぎれば、やはり的確に感知された。
そして、追っ手とのある程度の距離を保ちながらの囮目的の逃走は、予想以上にきつかった。半日にも及ぶ長時間の鬼ごっこは、ネズミから根こそぎ体力を奪っていった。

だが、逃げきるしかない。
シェルターに一人残してきた紫苑のために、何が何でも捕まるわけにはいかなかった。
どうにか治安局の目を欺き、撹乱に成功し、ネズミが紫苑の待つ穴ぐらに戻る頃には、既に月は頭上にあった。




月明かりが差し込むシェルターの中は、壁の白さもせいもあり、仄かに明るかった。ぼろぼろになり、そちこちから血を流しながら、びっこを引きつつ、壁伝いに歩く。
チチ…ッと小さく呼ぶ声が聞こえ、小ネズミがネズミの肩に飛び乗ってきた。ネズミの指が労うようにその頭を撫でる。
ネズミの表情が、初めてふわりと和んだ。尖っていた瞳が細められる。
小ネズミのせいではない。
床に丸くなってすやすやと眠っている、あまりに無防備な姿に。
「……あんたなぁ…」
小ネズミが事の次第を説明するかのように、ネズミの耳元でチチ、チチと鳴き声を上げた。
「人が苦労して駆けずり回ってたっていうのに、小ネズミと遊び疲れてうたた寝って、どうよ」
呆れたように言いながら、眠っている紫苑の傍に片膝をつく。
とはいえ、小ネズミはうまく紫苑を足止めしてくれたようだった。
後を追ってこようとするのではと危惧していたが、意外にも紫苑は小ネズミの言葉を理解したらしかった。
(…あんた。本当に変わってるな…)
くすくすと笑みを漏らし、血の滲む手を伸ばす。そっとやわらかな髪にふれた。
「…ん……ネズミ……」
甘やかな声に呼ばれ、自然とネズミの目許が和らぐ。瞳を細め、ふっ…と笑んだ。
疲労感が瞬く間に薄れていく。消えていく。
固く緊張していた身体がほぐれる。心がほどけていく。




人は、人に救われることがある。
それを紫苑に教えられた。
12年間生きてきて、紫苑だけが教えてくれた。
そして、今また気付かされる。

人はこんな風に、人を癒すこともできるのだ。






(つづく)




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