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【通販開始/ぷろく新刊】

●「Peaceful Garden」の自家通販を開始させていただきましたーv
ご連絡が遅くなってごめんなさい!
自家通販お申し込みは、↓のアドレスから。数に限りがありますので、できるだけお早めにお願いします。
http://www.chalema.com/book/ai_tsushin/

■お申し込みありがとうございました!自家通販受付終了しましたv
3/6にメール便にて本を発送させていただいております。
未着という方、もしもいらっしゃいましたら、拍手からでいいですのでご連絡くださいませー。




●「はじまりの朝とさよならの月夜」は書店通販のみです。
【書店通販】
とらのあなさま→http://www.toranoana.jp/bl/article/04/0030/02/80/040030028070.html
K-BOOKSさま→http://c-queen.net/ec/products/detail.php?product_id=94564


※あと「After Eden」ですが、とらさんの書店通販分は完売しましたので、お求めはK-BOOKSさまでお願いしますv 

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「はじまりの月夜」書き下ろしサンプル



ぷろく新刊「はじまりの朝とさよならの月夜」の書き下ろし部分のサンプルです。
四年後の再会のお話が書き下ろしで15ページほど入ってます。

【書店通販】
とらのあなさま→http://www.toranoana.jp/bl/article/04/0030/02/80/040030028070.html
K-BOOKSさま→http://c-queen.net/ec/products/detail.php?product_id=94564

◆3/30 K-BOOKSさんの通販分完売しました!ありがとうございます!とらさんにはまだありますので良かったらぜひv 












最初に聞こえてきたのは、女の声だ。聞き覚えは無い。だが、顔は知っている気がした。
4年前、ちらりと見た赤い傘の女だ。趣味の良くないセーターの贈り主。
(…あの沙布とかいう女と付き合っているのか?)
ちくりと胸の奥が痛んだ。無論、そんな微かな痛みなど、まるで気付かないふりをしてやり過ごす。
『ここでいいわ』
『気をつけて。あ、沙布。留学、出発はいつだっけ?』
その声に、ネズミがはっと瞳を見瞠った。
(――紫苑)
耳に心地よい、やわらかな声だ。やはり少し大人びたか? それでも口調は変わりない。
懐かしさに胸が熱くなる。
あの頃の姿が、声が、言葉が脳裏に甦ってくる。
ネズミ、と呼ぶ声のトーンも、唇の動きまで。
聞き入りながら瞑目する。
懐かしい。ずっとこのまま聞いていたい。
が、恋人同士の会話の盗聴など、あまりにも趣味が悪い。これでは、まるでストーカーだ。そんな使い道のためにわざわざ修理したわけじゃない。
ともあれ、機能面での問題はなさそうだった。
安堵と落胆に複雑な胸中を誤魔化して、一旦、マイクを切ろうとスイッチに手をかける。が、続いた台詞にぴくりとその手が止まった。
『わたし、あなたの精子が欲しいの』
(………は?)
『あ……えっ?』
『セックスしたい』
『………沙布……えっと…?』
『わたし、あなたとセックスしたいの、それだけ』
(…それだけ、って)
マイクのスイッチを切るのも忘れて、ネズミまでもが茫然となる。
『あの…いや、ちょっと待って……沙布、あの…』
『今すぐによ』
息を飲む。
なんともまあ、大胆な。
あまりにもストレート過ぎる告白に、驚きを通り越して呆れる。だが、ストレート過ぎて、この天然坊っちゃんに通じるかどうか。
モニターの中では、照れたように困ったように頬を染めて頭を掻きながら、紫苑が言葉を選んでいる。
どうする?
誘いにのるのか?
ごくり…と白湯を呑み干し、ネズミの喉が上下する。カップを持つ手に、無意識に力が込められた。
一言一句逃さず聞くべく、耳を澄ます。
『今はだめだ』
『どうして? 女の子に興味がないの? セックスに関心がないの?』
『興味も関心もあるさ。でも…沙布は』
『性的な対象じゃなかった?』
『――親友だと思ってた』
紫苑の答えに数拍の間を置いて、ネズミが脱力したように、はあ…とソファの背に凭れ掛かる。頭を抱えた。
まったく、この天然坊やは――。
童貞喪失の記念日とならなかったことは残念に思ってやる。だが、それはないだろう。
思いながらも、なぜか心の底から安堵していた。
紫苑が、こういう性格でつくづく良かった。
それにしても、もう少し情緒のある誘い方があるだろうに。これだからNO.6の住人は。
『留学期間、2年だろ? 帰ってきた時、ぼくから尋ねる』
『セックスしないかって?』
『うん』
(――あほか、あんた)
失笑が漏れた。
まったく、彼女じゃないが、正真正銘のばかだ。
据え膳を2年も放っておいたら、誰かに先に食われちまうだろ。そういう可能性も考えないのか、このお坊っちゃんは。
やれやれだ。
嘆息して、くすりと笑む。濃灰色の双眸が艶を増し、モニターの中の紫苑の頬を指先でそっと撫でた。
おれなら即押し倒すね、1秒だって待たない。
誰にも渡さない。
誰を思い描いてのことかは頭の隅に置き去りにして、ロボットネズミをけしかけるように操作する。沙布が悲鳴を上げた。
『きゃっ、ネズミ…?』
機械ネズミは茂みを出ると、沙布の横を通り抜け、紫苑の足元からダッフルコートを駆け上がった。



拍手お返事

2/12
○らげさまv
いつもありがとうございます!サンプル読んでくださってありがとうございますvv
ぷろくの新刊は、コピー本を自家通販で、オフの方は書店さんで委託していただいておりますv
コピー本は時間的な問題があって、あまりたくさん作れませんので、よかったら早めにお申し込みいただけると嬉しいですvv
ではでは、メッセージありがとうございました!またお声かけてくださいねvv

松○さまv
以前に通販お申し込みくださったそうで、ありがとうございます!おお楽しみに待っていただけていたなんて嬉しいです!
ぷろくの新刊は、コピー本を自家通販で、オフの方は書店さんで委託していただいておりますv
コピー本は時間的な問題があって、あまりたくさん作れませんので、よかったら早めにお申し込みくださいませーv
お問い合わせありがとうございます!またお声かけてくださいねvv


2/19 り○さまv(漢字一文字の貴方さまv)
はじめまして、ぷろくお疲れ様でした!わわ一般参加されていたのですね!会場内にいたのでわかりませんが、結構たくさん一般列も並んでいらっしゃったそうでv アニメ終わってから半年経ってるのに、たくさんの方がお来しになっていて、わあNO.6愛されてるよ…!と、しみじみ嬉しかったです!
あ、うちの本もお買い上げいただいたそうで、嬉しいです、ありがとうございます!いえいえファンだなんてとんでもない、恐れ多いです;;(平伏) それにしても、なかなかスペースで声かけるのって勇気いりますよね、私もチキンなのでいつも本だけ買わせていただいて逃げ帰ってます(笑) でもどうぞお気軽にv またの機会がありましたら、ぜひぜひお話させてくださいませv 
5月は合同でスペを取ったんですが、私は仕事の都合で行けないかもしれないです; でも本だけは何か出したいなと思っていますので、よかったらお立ち寄りくださいませvv 
「はじまりの~」の感想もありがとうございます!四年後の二人をお楽しみいただけたようで良かったーv 切ない別れをした分、再会したらきっとより一層甘々な二人になりそうですねえv ではでは嬉しいメッセージありがとうございました!またお声かけてくださいませvv




ぷろくお礼&通販について

ぷろく参加された皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした!!
一週間たった今も、まだふわふわ幸せに包まれていますvv
本当に本当に素敵なイベントでした…!!
お客様もたくさんいらしてて大盛況でしたね…!
そんな中、本を買ってくださった方、お声かけてくださった方、差し入れまでくださった方、本当にありがとうございました!!
すごくすごく嬉しかったです…!
チョコもたくさんいただいて、うはうはしながら毎日少しずついただいております…!
ネズ紫本のお買いものもたくさんできて、もうすごくしあわせ!
さつきさん、チケット&委託本当にありがとうございました!!あの場にいられたことが、やっぱり一番のしあわせでした…!


そして、新刊ですが。
「はじまりの朝とさよならの月夜」書店通販始まりましたv
コピー本の方はイベントで早くになくなってしまったので、自家通販を検討中です。
プライベートが忙しいので、たぶん期間限定か、冊数限定になるかと…。
またこちらでお知らせしますので、お問い合わせくださった皆様、もう少しお待ちくださいませv


オフ活動の方は、これで一区切りかなー…と漠然と思っていたのですが、まだまだ書きたいものも増える一方だし、熱もちっとも冷める気配がないので、もしかすると3月とか5月に何か出すかもしれませんv
というか、5月は合体サークルでプチに参加する予定なので、何が間違いなく出る…はずです…!
またわかり次第、お知らせしますねーvv

【通販開始】Peaceful Gardenサンプル

ぷろく2新刊コピー本です。
既刊の「After Eden」の続きのようなお話ですが、これ単独でもお読みいただけます。
ロストタウンで一緒に暮らし始めたネズ紫が終始いちゃいちゃしているお話です。
A5.20ページ。

peaceful garden-rgb

自家通販お申し込みは、↓のアドレスから。数に限りがありますので、できるだけお早めにお願いします。
http://www.chalema.com/book/ai_tsushin/
お申し込みいただくと自動返信メールが届きますのでご確認ください。
(届かないようでしたら通販ページの(お問い合わせ)よりご連絡ください。念のため、迷惑メールフォルダもご確認ください)
Yahooメールが受け取れるようにしておいてくださいねv






紫苑。
あなたにすべてを託す。

沙布は、エリウリアスは、そう言った。
そして、ネズミの命を助けて逝った医師もまた、死の間際にこう言った。
きみに託す。きみたちに託す。頼む。もう二度と、NO.6を、こんな都市を創らないでくれ。頼む。
最後は懇願で終わった。

ネズミは、任せては駄目だと言った。誰かに任せてはだめだ。あんたがやらなきゃだめなんだ。
逃げるな。背を向けるな。あんたが戦い、成し遂げる仕事がここにあるんだ。
そう言い残して旅立った。ついに一度も振り向いてはくれなかった。

ネズミの後ろ姿を見送った、あの日の碧空。
そのあざやかな空の碧さが、後に、紫苑に『喪失』をイメージさせる色となった。

夢を見た。何度も同じ夢を。
碧空を見上げたまま、落下して行く夢だ。
どこまでも落ちて行く。
救いを求める手に差し伸べられる手はなく、縋る手を掴み引き上げてくれる手もない。
孤独な寒さの中、ただ落下していく。
やがて、辿りついたのは、深い海の水底だった。
海底まで深く沈み、瞳を見開く。息が出来ない。
ゴボ…ッと水が入り込んでくる。喘ぎ、藻掻く。
喉を押さえる。肺が圧し潰される。
こわい、痛い、苦しい、誰か、助けて。

もう無理なんだ、ぼくには無理だ。背負うなんて、無理だった。
きみがいない。
きみがいない世界で、ぼくはこんなにも脆く弱い。誰かを救うどころか、一人で立っていることさえおぼつかない。
罵ればいい、嘲笑ってもいい。
だけどこれが現実で、そしてぼくの真実だ。

ネズミの傍らで一時あれほど苛烈であった己の存在が、不確かなものになっていく。
希望も理想も胸にあった筈なのに、そのすべてが今は遠い。遠ざかっていく。ぼくの望みは何だろう。いったいどうしたいんだろう。
わからない、わからないんだ。もう笑い方もわからない。泣き方も忘れてしまった。もうぼくは。
眠い、もう休みたい。いっそ明日の来ない眠りでもいい。
だけど。

きみは言った。
生きて背負え、と。

だから、逃げ出すことは赦されない。
人を殺めた罪も、沙布の死も、死んでいったものたちの遺志も。
すべて受け止め、生きていくことが、ぼくの贖罪、なのだから――。

大丈夫だよ、ネズミ。沙布。
ぼくは、まだ頑張れる。
頑張らなくちゃいけないんだ。
これはぼくの使命であり、そして償いでもある。
だから。
弱音を吐いてちゃ、いけないんだ。

大丈夫。まだぼくはがんばれる。
ネズミ、きみともう一度出逢うために、頑張るから。
だから、だから。

出来れば、そろそろ会いに来てくれないかな。
寂しいんだ。とても、寂しい。
弱いって、甘ったれだって、笑ってもいい。
きみに会いたくて、会いたくて、会いたくて、ぼくは…………

沈んだ水底から、遠い天上の光に向かって、懸命に両手を伸ばした。
苦しい息の下、溺れそうになりながら、ただ、懸命に手を伸ばす。
せめて指の先だけでも、あの光にふれたくて。

(ネズミ――……!)





「うわあぁあっ」
自身の叫びとともに、どすん!という落下音が部屋に響いた。衝撃を受け止めた背中と、床でしたたか打った後頭部が痛い。じんじんする。薄目を開けて、世界が逆さまになっていることを確認した。まだベッド上に引っ掛かっていた片足を下ろし、床の上でもそもそと体勢を直す。
「いたた、あー、もう何だよ」
誰に言うともなく、頭を押さえながらぶつぶつと文句を言えば、頭上でくすりとさもおかしそうに笑う声が聞こえた。はっとなる。
「えらく派手なお目覚めだな。あんた、いつもこんななのか?」
「へ?」
笑いを含んだ声に、きょとんと見上げた。ぱちぱちと数度瞬き、目をこする。
「ネズミ…?」
目の前に、デニム地のエプロン姿のネズミが腰に手を当て、紫苑を覗き込んで笑っていた。
「…えっと」
夢、かな?
いや、それにしてはあまりにリアルな。
それはそうと、あれ? 此処どこだっけ?
室内を見渡しながら考える。自分の部屋でないことだけは確かだが。
カーテンのない大きめの窓から、朝の日の光が差し込んでいる。それが、家具もほとんどない殺風景な部屋をあたたかく見せていた。
床の上には、既に本の山が幾つか、堆く積み上がっている。
未だ寝呆け顔の紫苑に、からかうようにネズミが言った。
「なんだ、あんた。まだ寝ぼけてるのか? なら、いいものを見せてやろう」
ほらと目前に突き出された目覚まし時計を、紫苑の瞳が束の間じっと見つめる。そして、時間を確認するや、その顔は見る見る引き攣った。瞳が驚愕に見開かれる。
「え…? ちょ、待っ、え!? 嘘っ、うわぁああっ!」
叫ぶなり、あたふたとパジャマを脱ぎ捨て、紫苑が着替えを探して室内を右往左往する。
「えーと、スーツどこだっけ、スーツ」
「そこだ。ハンガーに掛けておいたぜ?」
「あ、ありがとう。えっと、シャツは? シャツとネクタイ!」
「シャツはクリーニングから返ってきたまま、机の上。ネクタイはダイニングの椅子に引っ掛かってたぜ。何だ、あんた。脱いだら脱ぎっぱなしかよ。案外、だらしないな」
「だって、ぼくが片付けようとしたら、そんなことは後にして、とにかくベッドにってきみが…!」
昨夜、眠りにつく前の諸々のことを鮮明に思い出し、紫苑が服を身につけながら真っ赤になる。その一部始終を観察しながら、ネズミが愉しげな口調で言った。
「おれのせいか? ま、ともかくこれで目は覚めただろ」
「覚めたよ! というか、なんで起こしてくれなかったんだ! あーもう遅刻寸前じゃないか!」
「起こしたぜ? 今」
「遅いよ!」
「そいつは悪かった。ともかく、さっさと着替えて降りて来い。朝食、あんたの分も出来てるぜ」
「だけど、もう時間が…」
「駄目だ、朝食を抜くと1日持たない。仕事にならないぜ。あんた、ただでさえも体力が無いんだ。ちゃんと食ってから出掛けろ」
ネズミの口調が、叱りつけるように厳しくなる。もう少し言いようがあるだろうに。こういうところは、昔からちっとも変わってない。紫苑が渋々肯いた。
「きみって、母さんより厳しいな」
「あんたのママがやさしすぎるんだ。おれはそんなに甘くないぜ。ほら、早くしろ」
「わかってるよ」
シャツの袖に手を通しながら、紫苑が、階下をおりていくネズミの後に続く。古びた階段がギッ…と軋んだ音をたてた。ふいにネズミが振り返る。
「あぁ、目玉焼きとスクランブルエッグ、陛下はどちらがお好みですか?」
「目玉焼き! あ、両面焼いてくれ」
口調とは裏腹の可愛いらしいリクエストに、ネズミがほくそ笑み、腕を胸にあて仰々しく応えた。
「仰せのままに」




NO.6オンリー発行物

必死で原稿やってたので、なかなか告知できずにすみません;; 

2/12 東京文具共和会館 NO.6オンリー同人誌即売会「PROJECT-6 Ⅱ」参加します…!
4階NS36・さつきりゅうじさまのサークル/NAGAYA様に、風太本人ともどもお邪魔させていただく予定ですv
売り子さん頑張ります、楽しみです!!

○既刊:「After Eden」

●新刊:「はじまりの朝とさよならの月夜」

サイト/ピクシブにアップした1~エピローグまで+4年後の再会(書き下ろし)/92ページ

●新刊:「Peaceful Garden」
After Edenのその後の二人のラブラブ新婚さんコピー本ですv

ぜひぜひお立ち寄りくださいませvv



ブログ拍手お返事

1/14 ○らげさまv 
はじめまして!お返事おそくなってごめんなさい。
コメント、とてもとても嬉しく拝見させていただきました!
「After Eden」何度も読み返していただいているそうで、書き手として最高にしあわせです、ありがとうございます!まだまだ書きたかったシーンがあったのですがページの都合で入らなかったので、また番外編のような形で書けたらいいなあvと思っております。
イベントは私も滅多に参加できませんので、今後もピクシブやサイト中心の活動になると思います。またよかったらどうぞ見てやってくださいませ。まだまだネズ紫熱が冷めないので、これからもぼちぼち書いていきたいですv
コメント本当にありがとうございました!

はじまりの朝と、さよならの月夜 ~エピローグ~







濁流が穏やかな流れに変わると、そこは、もう西ブロックであることを意味していた。
汚水から、流れの縁へと上がり、ネズミは激しく咳込んだ。口の中も顔も皆べたついていて、不快でたまらない。汚水を吸い込んだ服も、身体も、鉛のように重かった。
それでも立ち上がると、水路の脇の通路に上がり、ネズミは歩き出した。
まだ先は長い。休んでいる暇はなかった。
残り半分の道のりを、ネズミはぼんやりと、ただ歩いた。
思考回路が完全に停止していた。
何も考えられない、感じない。
自分が息をしているのかどうかさえ、よくわからない。
強い光を宿していた濃灰色の瞳も、今は虚ろだった。
あのNO.6から無事帰還したというのに、逃げきったという達成感も、ざまあみろという高揚感も何もない。
胸の中は、ぽっかりと穴が空いたように空虚だった。

あの日。
老婆が殺され、矯正施設に連行され、その後はまさに激動の日々だった。
思い出したくないことばかりだ。
忘れようにも、忘れられない。
忌まわしいことばかり。
それなのに。
血の泡を吹いて息絶えた老婆の顔も、矯正施設の暗闇で出逢った老の顔も、ろくに思い出せない。
ただ、思い出すのは。

『手当てしてやるよ。手・当・て。わかるだろ?』

『ネズミ? …なんか、違うけど』

『すごいな、これ。押さえる神経の場所とかあるんだ?』

純粋で無垢な笑顔。
あんな顔を人がするところを、初めて見た。

おかしいな。
なんだってこうも、あんたのことしか思い出せないんだろう。
おれの忌まわしいの日々の記憶を塗り替えるほど、あんたの天然は、ずば抜けてひどかったんだ。
きっとそうだ。
考えて、口元が笑む。
だが、次の瞬間。いびつに歪んだ。

「あんた、馬鹿だ。正真証明の大馬鹿だ…」

汚水のプールに落ちていく、その刹那。
ネズミは見たのだ。
紫苑の唇が声を出さずに、
『う、そ、つ、き』
と動いて、そして、涙を溜めながらふわりと微笑むのを。
(なんでそんな風に、おれの全部を赦すみたいに笑えるんだ、あんたは――)
唇を噛み締める。
血が滲んでも尚、きつく噛み締めた。
胸が痛い。
喉と眼球が熱い。
それでも堪えた。まだ膝を折るわけにはいかなかった。
ここで歩みを止めてしまったら、辿りつけない。
どこにも。





ネズミの捜索は、すぐに打ち切られた。
この汚水の中を泳ぎきって、まさか西ブロックに逃れるなど有り得ない。出来る筈がない。
VC103221は、逃走後、ゴミ処理施設の汚水に落下し、死亡した。
たぶんそんな風に処理され、この一件は終わるのだ。
もっとも本音は、一刻も早く、悪臭漂うゴミ処理場を出たかった。それに尽きるだろうけれど。
そして、紫苑は車に乗せられ、治安局内の医療施設で怪我の手当てを受けた。出血が止まってしまえば、それは傷も残らないほどの軽傷だった。
傷が残らないと聞いて、紫苑は酷くがっかりした。
自分が手当てした彼の傷と、似たような場所に傷が残る。それは、記憶を記録として身体に留めておく、唯一の術でもあったのに。
彼とともに過ごした時間が確かにあったのだと、きっと、傷を見るたび鮮明に思い出しただろう。
(そんなのがなくても、絶対、忘れることはないだろうけど…)
それでも、証は欲しかった。
宝物にしたかった。
そして、傷の手当てが済むと、今度は長時間に及ぶ事情聴取が待っていた。
どのようにVCと遭遇し、拉致されたか、執拗に問われた。
『VCとの関係は?』
関係…。
それは、むしろ紫苑の方が問いたかった。
ぼくたちは、いったいどういう繋がりだったんでしょう?と。
そして、なぜ彼が矯正施設につれてこられたのか、どうしてVCと呼ばれていたのか、西ブロックで何があったのか。
彼がどこで生まれて、どんな風に生きてきたのか。
親や兄弟はどうしたんだろう。家は? 
知りたい、聞きたいことばかりだ。
だが、当然のことながら、紫苑からの質問はすべて却下された。逃走幇助についても、意志を述べることは許されなかった。
ネズミとの一連のやり取りを聞いていた局員らは、一様に紫苑に同情的だった。
育ちの良い坊っちゃんがVCにそそのかされ、逃走の手助けをし、言われるままに人質になり、挙句にこっぴどく裏切られた。
その様は、大人たちの目に、ひどく哀れに映ったようだった。
いくら自らの意志でついて行ったと主張しても、取り合ってはもらえなかった。
大丈夫、きみは騙されていたんだ、咎めはない。もう忘れなさい。そう言って、肩を叩かれた。
苦い想いばかりが胸で広がり、紫苑は何一つ聞き入れられない無力感を味わいながら、無機質な白い壁をぼんやりと見つめていた。

やっと自宅に送り届けられ、母と再会した頃には、空にはもう夕闇が迫っていた。
抱き竦められた母の腕の中で、気力を使い果たした紫苑は脱力し、そのまま意識を失った。
もうくたくただった。疲労していた。
主に、心が。
むろん肉体の消耗と疲労も著しく、母の呼びかけに声を発すことさえ、もう億劫だった。
そして、手首には一度捨てたはずのIDブレスレットがあった。
自ら望んで外したのに。
再び、装着することは屈辱だった。
だがこの先も、此処で、NO.6で生きていくためには、どうしてもこの枷が必要なのだ。
自由を奪われ、都市に支配されるための、手枷が。
悔しさに涙が滲む。
幼い自尊心は、ズタズタに傷つけられていた。






西ブロックに辿りついた時には、もうすっかり空は暗くなっていた。地上に続く通路の扉を押し上げ、辺りを窺う。
眼下には、バラックの屋根が連なり、荒廃した町並みが濃い闇に沈んでいた。
その遠くに壁が見える。
NO.6の内と外を隔てる壁。
そして、紫苑とネズミを隔てる壁が。
戒めのように、そびえ立つ。
特に郷愁を覚えるわけでもない、見慣れた西ブロックの風景を見下ろし、風に髪をなぶられながら、ネズミが遠い瞳をした。
紫苑。
あんたなら、この風景を見て、何というだろう。
何を感じるだろう。ぜひ聞いてみたかった。
そして、隣に立って、此処から夜空を見上げたら。
あんたはどんな顔をしただろう。
小さな星のさざめきさえも肉眼で見える、この野性の空を見て。
頬を染め、大きな瞳を輝かせるだろうか。
言葉にならない感動を、何とかネズミに伝えようと、四苦八苦するだろうか。
その様が目に浮かぶようだ。
フ…と瞳を細め、ゆっくりと天を仰げば。
瞑い空には、半身をもぎとられたような、半分の月があった。放心して見上げる。
「――」
青白くぽっかりと空に浮かぶ半分のそれは、まるで己の心のようだ。
突如として、ぐっと、想いが胸をせり上がってきた。
堪えていたものが込み上げてくる。
ネズミは、月を見上げたまま、がくりと両の膝をついた。
「……くッ」
胸を突き上げ、突き破るように、痛みが、切なさが、押し寄せてくる。
瞠目した瞳を涙が溢れた。
それは奥歯を噛み締めても、唇を噛み締めても、両手で強く口を塞いでも、堪えようがなかった。
涙がこぼれた。
あとから、あとから、頬を流れては、西ブロックの荒れた大地にぽたぽたと落下した。


失いたくなかった。
別れたくなかった。
置いていきたくなんかなかった。
離れたくなかった。
あんたをここにつれてきたかった。
ずっといっしょにいたかったんだ。
傷つけたくなんかなかった。
もっとやさしくしたかった。

せめて最後に一言だけでも、
あんたに本当の気持ちを伝えたかった。


畜生、ちくしょう、どうしてなんだ、ばかやろう…! 
どうして、どぉして、どうしておれは……!


「ウ…ワァアアァアア――…」

それは獣の咆哮のような慟哭だった。
大地を拳で殴りつけ、ぽろぽろと涙をこぼし、ネズミは幼い子供のように泣きじゃくった。
失いたくないものと知りつつ、自ら手を離した。
手放した。
後悔と悔しさで、胸が張り裂けそうだった。
 

やがて、西ブロックの空から月が去り、厳かな黎明が訪れるまで。
涙は枯れることなく、荒れた大地を濡らし続けた。







激動ともいえる二昼夜が過ぎ去って、2度と戻ってくるつもりの無かった自分の部屋の中、紫苑はぼんやりと立ち尽くしていた。
見慣れた筈の室内が、やけに無機質に、やけに広く冷たく感じる。
もっとも、此処ももうあと数日で出ることになる。ロストタウンへの移住が決定したのだ。
これでも温情をかけてやったんだと言わんばかりの治安局高官の皮肉げな言葉に、紫苑は微笑みさえ浮かべて、それを甘受した。
特に感慨は湧かなかった。未練も無かった。
息子の無事に喜びと安堵の涙を流し、抱擁とキスをくれた母には、どれだけ心配をかけたかと、あらためて心から申し訳なく思ったけれど。

ネズミはどうしただろう?
無事、西ブロックに逃れただろうか?

考えることと言ったら、やはり彼のことばかりだ。
ベッドに腰かけ、まるであの夜の体温を探すようにシーツの上を掌で撫でる。
今はまだ、何も考えられない。
考えたくない。
NO.6で、一人迎える明日に、何の意味も見出せない。
だからといって、いつまでもぼんやり立ち止まっていたら、きっと馬鹿にされて嘲笑われる。
ほら見ろ、だからあんたみたいなお坊っちゃんは……。
口調と声を思い出すなり、胸がつまった。ぎゅっと切なく苦しくなる胸を押さえ、涙を堪える。
息苦しさを覚えて、逃れるようにベッドを離れ、あの夜と同じように窓際に立った。
息を吸い、両手で思いきり、勢いよく窓を開く。
風が入ってくる。
夜風がふわりと紫苑の頬を撫でた。
―ちがう。こんなのじゃない。
ぼくが欲しいのは、頬を打つ激しい雨と心を揺さぶられる激しい風だ。
痛いほどの嵐なのだ。
唇を噛み締め、バルコニーに出て、落胆したように空を仰ぐ。
刹那、瞳がはっと見瞠られた。
星の少ない明るい空に、ぽっかりと、半分に引き裂かれたような青い月が浮かんでいた。

まるで、ぼくの心のようだ。
だって、半分は、きみに持っていかれちゃったから。

心で呟いて、笑おうとして、ふいにくしゃりと顔が歪む。微笑みがいびつなまま引き攣った。
大きな瞳を涙が溢れる。嗚咽が込み上げてくる。

胸がいたい、胸がいたい。
どうせなら、半分なんて、言わないで、
全部、ぜんぶ持っていってくれたらよかったのに。
どれだけ傷ついても、傷つけられても、それでもよかった。
きみといっしょの方がよかった。
たとえ、殺されたとしても。
きみと一緒が良かったんだ。
一緒に生きたかった。
そばにいたかった。
別れるなんて嫌だって、言えばよかった。

うそつき、ぼくをかばって冷たいふりなんかして、
ばかだ、馬鹿だ、きみは本当に。
どうしてそんなに、やさしいんだ、ばか。
忘れられなくなっちゃうだろ、ひどいよ。

淋しいよ、淋しいんだ。
いつかまたなんて嫌だ、
今すぐ会いたい、今すぐ会いたいんだ。
ネズミ―――…!


「うわぁああああああああ………っ」

手すりを力を込めて握り締め、月に向かって、あの夜と同じように叫びを上げる。
遮る風も雨音もないけれど、それでも、壁を越えて届けとばかり、声を張り上げた。
涙が、あとからあとから瞳を溢れ、頬を伝い、流れ落ちる。
それでも紫苑はやめなかった。
声が枯れても掠れても、きみに届けとばかりに声を上げた。


そうして、やがて月は去り、
NO.6にもじわじわと夜明けが訪れる。
同じ空色を塗り広げたような、
無表情な朝がまた訪れる。












そうして。
月が半月になるたびに、夜空を見上げた。

別れた日の月夜を思い出して、静かに目を伏せた。
あの闇に隠れた半身が、いまどうなっているのかと。
考えて、想像しては、胸は切なく締めつけられるように痛んだ。
 
夜を重ねて、月が氷のかけらのような薄い三日月になると、胸はますます切なくなり、やがて朔を向かえた暗闇の空に不安の涙を浮かべた。

それでも、朝は来る。
繰り返し繰り返し朝を向かえるうちに、痩せ細った月はまた円鏡のように丸みを帯びて、元の形に姿に戻るのだ。


だから、ぼくたちは期待する。
いつかまた巡り巡って、ぼくたちの出逢う『はじまりの朝』が、必ず再び訪れることを。


今夜もまた、
壁の内と外で同じ月を見上げ、想いを馳せる。






終わり。








長らくのおつきあい、ありがとうございました!





     

はじまりの朝と、さよならの月夜(6)





雨の中、紫苑を待っていてくれた赤い傘の色が、瞼の裏に鮮やかに浮かんだ。
沙布。
大切なぼくの親友。
ずっと一緒だと思っていた。
たとえ専攻が違っても、そんなの関係ない。
ずっと同じように目標を持って、共に歩んでいけると思っていた。
だけど、ごめん。
もうぼくは、きみと同じ道を歩くことはできない。
できなくなってしまったという意味じゃない。結果のことじゃない。
ぼくは、ぼくの意志でそれを選んだ。
彼とこの先も共に在りたい。
これが今ぼくの望む、たった一つの未来だ。
だのに。ああ、どうして。
――どうしてぼくは、こうも脆弱なんだ。



ネズミの腕に抱えられて、朦朧としていく意識の中、ぼんやりと紫苑が想う。
銃声の音、鼠の鳴き声、叫び、悲鳴。
心を不安にざわつかせる音が、ぎゅっときつく抱き寄せられた腕の中で一時遠ざかる。
代わりに聞こえるのは、心臓の音だ。
規則正しく、あたたかな、きみの音。
呼吸はもう、乱れに乱れているけれど。
ごめん、ぼくのせいだ。
背におぶされば、少しは楽だろうに。
そうやって、きみは、ぼくが背後から撃たれる可能性から護ってくれている。
自分の背を盾にして、ぼくを護っている。
やさしいね。ほんとうに、きみはやさしい。
ぼくは、そんなきみを護れただろうか。
きみを護れたと言えるだろうか。こんな風で。
それでもね、ネズミ。
何だかこの2日で、ぼくは、一生分の人生を経験したような気がするよ。
他人とこれほどまでに深く濃厚に交わるなんてことは、たとえ90年生きたって、そうそうはないだろうと思う。
…ねえ、ネズミ。
きみにとって、ぼくはどうかな…。
ぼくは、きみにとって……。
意識を手放しそうになって、だらりと紫苑の手が落ちる。指の先から血が滴り落ちた。
耳のそばで、ネズミの怒声を聞いた。
起きろ、目を開けろと叫ばれて、紫苑が薄く、重い瞼を持ち上げる。
ああもう、そんなに大きな声を出さなくったって聞こえてる。
大丈夫。ぼくは、ちゃんと、最後まで、ぼくの役目を全うするんだ。
そのために今、ここにいる。
きみの負担になることに、甘んじている。



地上に上がった瞬間。刺すような太陽の光に、一瞬意識が飛びそうになった。目が眩む。
廃棄ルートを紫苑を抱えたまま駆け抜けたネズミの肉体は、既に疲労を訴え、両腕は痺れて感覚が無かった。
だが、休んでいる暇はない。
紫苑を一旦茂みに隠し、森林公園の中のパーキングに停車中の濃紺の車に接近する。
車中の人間を確認するや、肘で窓を割り、素早くロックを解除し、運転席のドアを思いきり開いた。
キスの真っ際中だった若い男女が、度肝を抜かれたようにネズミを見る。無粋ではあるが、構ってなどいられない。
運転席の男を外へ引き擦り出し、女にも降りろと命じる。もっとも車内に侵入してきた溝鼠の群れに、女は悲鳴を上げると、ネズミに命じられるまでもなく、あっさりと恋人を放って逃げ出した。好都合とはいえ、少しばかり男に同情する。
ネズミは、背凭れを倒したサイドシートへと紫苑を横たえ、シートベルトで固定すると、運転席に回り、エンジンをかけた。行けそうだ。
頭の中で、ゲートまでの道をシュミレーションする。行ける。大丈夫だ。
自分に言い聞かせ、アクセルを踏み込むと、車は唸りを上げてパーキングを走り出た。
森林公園からロストタウンのメインストリートを抜ければ、そこからゲートまでは一本道だ。
だが、恐らくはその手前で検問が行われる。
そこさえ突破できれば。
ネズミの顔に緊張が走る。
ここまで来たんだ。何が何でも逃げきってみせる。
生き延びて、やがて、その喉元に喰らいつき、息の根を止めてやる。たかが鼠一匹とあなどっているがいい、NO.6。
いつかお前に、滅びの歌を歌って聞かせよう。
その時になって気付くがいい。
数多の犠牲の上に成り立っていた聖都市は、数多の呪縛を受けて崩壊するのだ。
ざまあみろ。
バックミラーに遠くなる『月の雫』を睨みつけ、ネズミが冷笑を浮かべる。
―その時。あんたはどうするだろう。紫苑。
NO.6崩壊の時、あんたは何を見、何を守り、何を望もうとするだろう。
(…あんたがもし望むなら、おれが、いつかあんたを此処から連れ出す。必ず)
決意のように胸で呟く。
もっともその頃には、紫苑はもうネズミとはまったく違う未来を見ているかもしれないけれど。
「……う…っ」
サイドシートに横たわる紫苑が、ふいに小さく呻きを漏らし、身じろいだ。ネズミがはっとなり、隣を見る。
腕の出血は治まっている。どうやら、凝固阻止剤は使われなかったらしい。安堵すると同時に、自然と瞳が細められた。
気配を察したのか、紫苑が薄く瞳を開く。
運転席のネズミを見上げると、不思議そうに数度瞬いた。
「ネズミ…?」
「気がついたか?」
「うん…。あれ、もしかして、ぼくたち車に乗ってる…? きみが運転してるのか…?」
「ああ、見ての通りだ」
「へえ、すごいな。免許とか、持ってるんだ」
「まさか。この年で免許なんか持ってたら、そいつは偽造だろ、まちがいなく」
「あー、そうか。そうなるな…。あ、ってことは、もしかして、無免許…?」
「当然」
すまして答えるネズミに、瞬く間に紫苑の眉が潜められ、怪訝そうな顔になる。
「ちょ、だ、だいじょうぶ、なの? まさか、運転ははじめて、ってことは…」
「無いさ。2度めだ」
「そう、なら安心って、えええ…っ」
控えめに驚愕する紫苑に〈怪我をしていなかったら、もっと盛大に驚いただろう〉、憮然とした横顔でネズミが返す。
「いいから、あんたもう喋るな、気が散る。それに、また舌噛むぞ」
「でも、だって、この状況で黙ってろ、っていわれても…! つっ」
「どうした?」
「…舌、かんだ」
「言わんこっちゃない」
「きみの、運転が、荒っぽい、からだろ」
「こっちも必死なんだ、黙ってろ」
ハンドルを握る顔が、紫苑が見てもそうとわかるほど真剣だ。尚更こわい。
左右に揺れる車中で、紫苑がシートの上でもそもそと体勢を変え、いざという時の衝撃に備える。
車は、どうやらロストタウンのメインストリートに差し掛かっているようだった。見覚えのある風景が、窓の外を流れて行く。
どうにか運転にも慣れてきたらしいネズミが、ゆっくりと両肩の力を抜いた。ふうと一息つくと、ちらりと紫苑を見る。
「傷はどうだ? 痛まないか?」
「え、うん。さっきより大分まし、かな。というより、きみの運転が心配で、怪我してることも忘れてた」
「そんな減らず口がきけるぐらいなら、もう大丈夫だな。ここで降りるか」
「え、ちょ、ちょっと待ってよ…!」
「冗談だ」
慌てて言い募る紫苑に、ネズミが不意に表情を和らげ、フ…ッと笑んだ。紫苑がそれをじっと見上げる。
「……」
「なんだよ?」
「…きみが笑ってる」
「…は?」
「良かった。うん、なんか、良かった…」
ひとりごとのように呟いて、紫苑が微笑んだ。
紫苑が撃たれた時の、ネズミの懸命の叫び、狼狽した声、顔。泣き出しそうな悔恨の瞳を、虚ろになっていく視界で間近に見た。
心で詫びた。ぼくのせいで、きみにそんな顔をさせてしまった、ごめん、と。
その瞳の陰りが今は見えない。それに安堵した。
ほっとしたようなやわらかな笑みに、ネズミもまた瞳を細めた。茶色のくせのある髪をネズミの指が掻き回す。紫苑がくすぐったそうに小さく笑い声を上げた。
が、指の関節で赤みの差した頬にふれ、ネズミがはっと瞠目した。慌てて額に掌を置く。
やはり身体が熱い。発熱している。しかも高熱だ。気丈に微笑んではいるが、これでは相当つらいはずだ。
濃灰色の瞳が苦く眇められた。
ああ、確かにおれはあんたを見くびっていた。
大した坊っちゃんだ。度胸もあるし、根性もなかなかだ。肝も据わっている。
ついていきたいと言った、その本気を見抜けなかった。決意をあっさりと退けた。
だが、その割には、心のどこかで期待していたんじゃないか? あともう少し。もう少しだけなら、一緒にいていいのでは、と。
紫苑の願いを聞くふりをして、そこに自身の願いを重ねていた。連れて行けるものなら連れて行きたいと、たぶん、そう望んでいた。
浅はかだった。
それが、結果として、あんたをこんな目に遭わせた。
仮に、このまま西ブロックに辿りつけたとしても、医者もいない、手当ても出来ない、ろくに薬も手に入らない西ブロックでは、紫苑は死んでしまうかもしれない。
NO.6ではどうといったことはない夏風邪でも、西ブロックでは命とりになる。それが現実だ。
わかっていた筈なのに。つくづく馬鹿だ。
甘ちゃんはおれの方だ。
ネズミがハンドルを握る手に、ぐっと力を込める。悔恨が胸にせり上がる。
そう甘かった。紫苑にも、自分自身にも。
紫苑の傷は、その代償だ。おれのせいだ。
唇を噛み締める。
だが、おかげで目が覚めた。

――今度こそ違えない。
おれは、あんたを全力で拒絶する。

「ネズミ…」
紫苑の熱い手が伸び、何か言いたげに、そっとネズミの膝にふれた。片手にハンドルを持ち換え、その手を包むように、ネズミが手の中で握り締める。

忘れないでいよう。
傍にこのぬくもりがあったことを。
忘れない。たぶん、死ぬまで。
忘れられない。

胸の奥が、きりきりと痛んだ。
それを打ち消すように、アクセルを踏み込む。
治安局の車が、ロストタウンの出口で待ち構えている。
ここからはカーチェイスだ。一気に突っ切る。後戻りはできない。もう突き進むしかないのだ。
「いいか、頭を下げて、しっかり掴まってろ!」
前方を睨み、ネズミが低い声で紫苑に命じる。
さらに強くアクセルを踏み込むと、車は唸りを上げて猛スピードで検問システムへと突っ込んだ。



そこからは、もう会話をしている余裕もなかった。
振り子のように左右に揺れる車の中で、紫苑はシートにしがみついているのが精一杯だった。
サイレンの音が近づく。左右から接近してくる赤いフラッシャーの光に、両側を包囲されているのだとわかった。
が、ネズミの顔は少しも焦っている様子はなかった。
「ゲートを突破するぜ」
「え…っ」
ゲートというのは、NO.6の内と外を分ける壁のゲートのことだろうか。紫苑が逡巡する。
だが、当然ながら許可証無くゲートは開かない。
突破ってどうやって?と疑問を口にする前に、上から頭をぐいと押さえつけられた。
「頭を低くして、じっとしてろよ。さもないと、首がフッ飛ぶぜ」
にやりと笑って、そんな恐ろしいことを口にする。紫苑が緊張の面持ちで身を強張らせた。
次の瞬間、強い衝撃が来た。
破壊音が耳をつんざく。
思わず、耳を押さえて叫びを上げていた。
フロントガラスが粉々に割れ、車の上半分は、降りてきたゲートの扉に引っ掛かり、ひきちぎられて後方にふっ飛んだ。キキキ――ッ…!とタイヤが摩擦で軋む音がして、車は大きくスピンすると壁に激突して何とか停止した。
ばらばらと身体の上に降ってきたガラスの破片を払いながら、シートの上で恐る恐る身を起こす。
まったく、生きているのが不思議なくらいだ。
「大丈夫か?」
「う、うん。きみこそ大丈夫?」
「ああ、何とかな」
ネズミもまた浴びたガラス片を払い落としながら、運転席で身を起こした。
途端に目線が鋭く、険しくなる。
どうやら計画通り、ゴミ処理場の内部へと入り込むことには成功したようだった。だが。
「そこまでだ」
「手こずらせてくれたな、VC」
先回りしていたらしい治安局員が、大破した車の周囲を取り囲んでいた。四方から銃口がネズミへと向けられる。
背後では、ゴォンゴォンと巨大なロウト型の処理機械が唸りを上げていた。燃料やリサイクル原料として再利用できない最終ゴミは、ここで乾燥チップになり焼却炉に送られる。機械から出た汚水は、足元のプールに溜められていた。
濁流のような音が耳に聞こえる。汚水はそれ以上処理されることもなく、一定量に達すると、ダムが放水するように西ブロックへと流されるのだ。
こんな腐臭のする水を、そのまま流すだなんて酷い。紫苑が、自分の置かれている立場を忘れ、ついそんなことを考える。
と、いきなり背後から、ぐいと乱暴に髪を鷲掴まれた。痛みに思わず悲鳴を上げる。が、構わず、シートから力まかせに引き起こされた。
抗議をする間もなく、紫苑の首筋に冷たいものが押し当てられる。びくりとする。それがナイフの刃と知って、息を飲んだ。
「降りろ」
「…ネズ、ミ」
「早くしろ!」
「…うっ」
背後から腕を強く取られ、車から引きずり下ろされる。殺気を感じた。
本気の殺意だ。
本能で感知して、紫苑がぞくりと身を震わせる。
僅かに振り返って見たネズミの表情は、すでに豹変していた。
その顔で、もしも部屋に侵入して来られていたら、紫苑といえど、たぶん恐怖を覚えただろう。そんな悪辣な形相だ。
冷たい汗が紫苑の背を伝い落ちる。
まさか、ネズミ、本気でぼくを…?
「ネ、ズ…」
「貴様…っ!」
「近づくな!」
「…っ」
人質を盾に取られ、治安局の男たちがやや後退した。
「1歩でも近づいたら、この坊っちゃんの首があんたらの足元に転がるぜ?」
片腕で紫苑の身体を拘束し、ナイフを首に突きつけたまま、ネズミが階下のプールの際までじりじりと後退する。
「残念だが、そんな脅しには乗らん」
「へえ? クロノスの坊っちゃんが人質にされてるってのに、あんたら見殺しにするんだ? 度胸あるねえ」
ネズミが強気でせせら笑う。
今の今まで一緒にいたネズミと、まるで別人のような声色と顔つきに、紫苑が混乱したように見開いた瞳を震わせた。
男の一人が、指令官らしき男に耳打ちする。にやりと嗤った。
「人質に危害を加えた場合は、貴様はこの場で射殺刑に処して良いとの許可が降りている。矯正施設へ送られることなく、ここでくたばるんだ」
「だから、馬鹿な真似はやめて、その少年をこちらへ渡せ」
もっともらしい説得に、ネズミが笑いながら両肩を持ち上げた。
「嫌だね」
「何?」
「矯正施設に行くくらいなら、此処で銃殺された方がましさ。どっちみち、献体にでもする気なんだろ、おぞましい。誰がそんな話聞くかってんだ。なあ、酷いよな? あんたからも何か言ってくれよ、坊っちゃん。命乞いでもいいぜ?」
「え、ぼ、ぼくは」
耳元で囁かれて、紫苑がびくりとする。唇が震えて何を言ったらいいかわからない。
「紫苑。きみには、こちらからも聞かねばならないことが山ほどある。VCを隠匿し、治安局への通報を怠り、その挙句に逃亡の幇助をした。これは事実かね?」
「それは…」
「どうなんだ?」
答えを今すぐ要求する空気に、紫苑がしばし逡巡し、狼狽した視線を徘徊させる。
首に当たるナイフが冷たい。
それでも決意したようにゆっくりと顔を上げ、質問した治安局員に答えた。
「はい、事実です」
震えながらも凛とした声が、処理場の壁に反響する。一瞬の緊張と静寂の後、ネズミが唐突に吹き出した。こりゃあいいと盛大に笑い声を上げる。
「はぁ? あんた、正気? というか、天然どころか本物の馬鹿なんだ」
「ネズミ…?」
「騙したままバイバイじゃ、目覚めが悪いからな。最後に教えてやるよ、お坊っちゃん」
言いながら、身体を拘束していた手を伸ばし、紫苑の細い顎を撫でる。性悪な声音で耳に囁きを落とした。
「あんたみたいな天然坊やを騙すのなんて、おれには赤ん坊の手を捻るくらい簡単だったってことさ」
「ネズミ? 何、言って…」
「大人しくここまで人質になってくれてありがとうな。なぁ、どうだった? 楽しかったろう、わくわくしただろう? あんたみたいな温室育ちの坊っちゃんには、たまらないスリルの連続だったよな? けど、もういいだろう。お遊びは終わりだ。さすがにこれ以上、あんたのお守は御免なんだよ」
「ネズミ…」
「そもそも、あんたみたいな家が裕福ってだけの退屈な坊やなんて、利用価値がなきゃ一緒にいたりしない。痛みも苦しみも、本当の不幸がどんなものだってことも知らない、自分の施しで誰かが救えると本気で信じてる、愚かで傲慢な偽善者…! 反吐が出る。なぁ、あんたわかってる? あんたはおれを助けたつもりでも、おれにとってそれは施しでしかないんだよ。あんたは自分の善意に酔って、かわいそうなVCを憐れんで匿って、自尊心を満たしたかっただけだ」
「ネズミ…ぼくは、そんな、そんなつもりで…!」
「なら、どんなつもりだったっていうんだ! あんたは、自分と同じくらいの子供が怪我をして腹をすかせて死にかけているのを見て同情したんだ! 憐れんだんだよ、違うか!?」
「違う、ぼくは、ぼくは…! きみを本当に」
「うるさい、もうあんたのきれいごとなんか聞きたくない! あんたの美辞麗句は、無意識に汚いものときれいなものを分けて蔑むんだ、おまえとは違う生き物なんだって見せつけて、見下して! その度おれがどんな気持ちだったか、あんたにわかるか!?」
「……っ!」
ナイフの刃先よりもずっと鋭い言葉の刃に切り刻まれ、紫苑の心が、身体の内側でどくどくと血を流していく。
こんな風に、言葉で人の心を殺す術もあるのだと、初めて知った。
頭の芯が麻痺している。うまく考えが巡らない。想いが言葉に纏まらない。
何を言っても、自分の言葉が突如彼に届かなくなってしまった。そう思えて、気持ちを言葉にすることが憚られる。こわい。
大きく見開かれた瞳を潤ませ、紫苑が一度ぎゅっと唇を噛み締めた。
「…知らなかった……ネズミ……きみは、そんなに、ぼくのことが、嫌い、だった…?」
涙を懸命に堪えて、震える声が、消え入りそうに弱々しく呟いた。
それでも、ネズミは容赦がなかった。
「ああ、嫌いだ。あんたといると、本当にイラつく。まったく、連れてきたはいいが、足手纏いにばっかりなりやがって。だから、嫌だと言ったんだ、あんたなんか、そもそも人質の価値もない…」
「もういいだろう、そこまでにしておけ…!」
青褪めて俯き、表情を無くす紫苑に、治安局員が同情したように助け船を出した。
そんな紫苑とネズミの背後で、ゴゥンゴゥンと音をたてていた巨大なスプリンクラーが、不意に音を止めた。溜まった汚水が一定量に達したのだ。
ネズミが不敵な笑みを浮かべる。
「そうだな。そろそろ潮時だ」
視界の端を、小ネズミが目にも止まらない速さで横切った。
「バイバイ、坊っちゃん」
「ネズミ…?」
囁かれた別れの言葉に、紫苑がはっと瞳を見開いて振り返る。
「そら、とっとと、ママのところへ帰りな…!」
ネズミが紫苑の背を力強く押すのと同時に、小ネズミが指揮官に飛びかかる。
ネズミはその隙をついて、素早く手すりを飛び越えると、下方のプールへと身を翻した。小ネズミも後に続く。
「ネズミ…!」
「逃げるぞ!」
「撃て!構わん、撃ち殺せ!!」
「待って…! よせ、やめろ、撃つな…っ!」
よろけてもたつく身体を立て直し、紫苑が一斉にネズミを狙う銃身の一つへと飛びついた。
「何をする、離せ、この…っ」
「ネズミ!!」

呼ぶ声に、プールへと落下していきながら、濃灰色の瞳が紫苑を見た。
束の間、邂逅する。
紫苑の唇が声に出さず、懸命に何ごとかを告げる。
そして、涙を浮かべながらも、ふわりと微笑んだ。
「…っ」

だが、それもほんの一瞬のことだった。
ネズミが水面に達するのとほぼ同時に、プールの底が開き、一定量に達した汚水が流されて行く。
ごうごうと音をたてて、西ブロックへ。
濁流の向こうで、紫苑の叫ぶ声が聞こえた。
名を呼んでいるようだったが、もうそれも聞こえない。
浮遊物が漂う褐色の粘りのある水の中では、もう何も考えることが出来なかった。
目も開けられず、息も出来ない。
生きることに意識を集中していなければ、あっという間に呑み込まれる。溺れてしまう。
流れに身をまかせるようにしながら泳ぐ。
ただ、泳ぎきる。
ネズミに出来ることは、後はもう、それだけだった。






出逢いが、
早過ぎたのかもしれない。
求めることに、
急ぎ過ぎたのかもしれない。
もしも、
この出逢いがもっと後であったなら。
こんな風に、
一度繋いだ手を離さずに済んだのかもしれない。





それでも。


拙いなりの、幼いなりの、
これが今の2人の精一杯だった。




せいいっぱいの愛だった――。










はじまりの朝と、さよならの月夜(5)






予感はあった。
明け方、風が変わったのだ。
雨の匂いがした。
程無く、小雨がNO.6を覆うだろう。
水のベールのように。
罪も穢れもひた隠すベールのように、
聖都市を覆うだろう。



「降ってきちゃったねぇ」
シェルターを出て、丘を駆け降りながら、紫苑が空に向けて手をかざした。
ああ、と応えてネズミが灰色の空を見上げる。
ゆうべの晴れた夜空が嘘のようだ。どんよりと曇った空は、ぽつぽつと地上へと大きな雨粒を落とし始めている。
朝の人の流れに紛れる算段でいたが、さてどうする? 自問する。
何せクロノスの住人は、雨の日に傘を差してまで外を歩こうなどという酔狂なことはしない。
子供だって登校には車を使うだろう。
こうも人通りがまばらとなると、目立つ上に、治安局の連中を動きやすくしてしまう。
だが、地下は既に包囲網が張り巡らされている筈だ。そして、住民の目がないのを良いことに、容赦なく発砲してくるだろう。数日前と同じように。
小汚いドブネズミ一匹始末するくらい、何とも思っていないのだ、やつらは。
だとすると、少しでも地上にいた方が安全性は高いと言える。
雨の中、行くか。
「……」
ネズミの目が、ちろりと隣の紫苑を見た。
ひ弱そうに見えるこのクロノス育ちの坊っちゃんが、果たして雨の中走れるだろうか? 
が、すぐさま思い出した。
隣にいるのは、クロノスで唯一かもしれない『例外』だ。
雨を嫌うどころか、嵐の中、好んでずぶ濡れになって叫ぶような物好きな人間だった。
「えーと、傘、かさ、っと」
紫苑が意気楊々とリュックの中に手を突っ込み、奥底から折りたたみの傘を取り出した。
小さな傘だが、ボタン一つでサイズ調節が可能な優れモノなんだと、ゆうべリュックの中身を披露したついでに自慢していた。
つまり、一つしかないけど二人一緒でも充分入れるよ、ということだ。
パンと軽快な音がして、傘が開く。
それは、さらに、まるで羽を広げるように元の直径よりも1.5倍近く大きく開いた。
「はい、ネズミも入って」
「はぁ、冗談だろ。あんたと一緒じゃ動きにくい」
「でも濡れちゃうだろ」
「濡れる方がましだ」
「風邪ひくよ」
「まさか。あんたみたいにやわじゃない」
「何、照れてるんだよ」
「なっ、別に照れてない」
「だったらほら。IDブレスレットもしてないんだから、誰が見たってぼくら怪しいんだし。それにきみ、顔見られちゃマズイだろ。傘に隠れていった方が絶対安全だ」
得意気に言われて、ネズミがむっとする。
が、紫苑の言う通りだった。
NO.6の住人はすべてIDブレスレットの装着が義務づけられている。腕にそれがないということは、暗に外部からの侵入者であるということを意味しているのだ。
ましてや、ネズミは手配中のVCだ。治安局からのメールには、その容貌がくっきりと映し出されていた。  もし気付かれたら、閑静な住宅街はパニックに陥るだろう。面倒だ。
フンと鼻を鳴らして、ネズミが渋々紫苑が開いた空色の傘に入る。紫苑がくすりと笑むのを、忌ま忌ましげに睨みつけた。
「かせよ、おれが持ってやる」
「いいよ、ぼくの方が背が高いもん」
「変わんないだろ。あんたじゃ、いざって時に役に立たない。よこせ」
「あぁ、もう。強引なんだから」
紫苑の手から傘の柄をむしり取り、ネズミが周囲の様子を窺いつつ、丘を下った道から整備された舗道へと出る。
表情が俄に険しくなった。
明らかに当局の連中と見られる怪しげな男が、雨の中、遠巻きに点在している。僅かに生活路に出ている人たちも、善良な市民に見せかけた局員かもしれない。
無意識に紫苑を傍らに引き寄せて、ネズミが自身の行動にはっとなった。
いや、間違ってはいない。
紫苑は人質なのだ。人質は自分の身の安全のためにも、片時も傍から離してはいけない。鉄則だ。
ポケットの中のナイフを、いつでも取り出せるように一度ぐっと握る。
「それにしても、返って目立つんじゃないか、この傘の色。あんた、本当に趣味悪いな」
「うるさい、これしかないんだから仕方ないだろ」
「セーターといい、傘といい」
「セーターは沙布に貰ったんだ、って、もう、着ておいて文句言うなよ」
「あんたがこれ着ろって言ったんだろ」
「だって、ちょうどそれがベッドにあったから…」
緑の多い道を歩きながら、紫苑が唐突にはっと口をつぐんだ。
前方にある赤い傘を見つめ、瞳を凝らす。  
唇が、呟くように小さく名を呼んだ。
「…沙布」
そういえば、彼女も紫苑と同じく、雨の日は傘を差して歩きたいタイプだった。傘に当たる雨音を聞くのが好きなんだと言っていた。
雨の中、まるで誰かを待つようにゆっくりと歩く沙布の背に、紫苑が切なそうに瞳を細めた。
たぶん、同じように傘を差してくるであろう紫苑が、後から追いついてくるのを待っているのだ。
「さふ?」
ああ、このセーターの…と言いかけて、ネズミが紫苑の横顔を見る。
何を考えているのか、そんなことまではわからない。だが、今まで脳天気だった紫苑の顔が、瞳が、微かな陰りを見せていた。
ネズミが、それらから視線を逸らし、ぎゅっと拳を握り締める。改めて気付いた。
紫苑はもう、たとえネズミと別れて母の元へ戻ったとしても、元の生活には戻れない。
幼馴染みの彼女とも、二度と同じ位置に立つことはない。同じ道を歩くことはない。一度脱落したものには、2度と這い上がるチャンスを与えないのだ、この聖都市は。
隔たりを作ってしまった。
そのことが重くネズミに圧し掛かる。目を伏せた。
「……ごめん、沙布…」
紫苑が赤い傘に向かって小さく呟く。
まるで、決別の言葉のように聞こえた。
「…紫苑、あんたは」
「行こう、ネズミ」
ネズミが何が言おうとするのを遮って、紫苑が意を決したようにきっと前を向き、ネズミの腕を引く。
向かう先は、彼女の進む方向とは逆だった。
背を向けるように、道を逸れる。足早に歩き出した。
突然強さを増した雨脚に、ふいに不安げに赤い傘が振り返る。
誰かに呼ばれたような気がしたのだ。
「……紫苑?」
だけども、彼女が探し求めた姿はそこにはなく、呼ぶ声に答える者もなかった。



学校に来ない紫苑を、彼女はどう思うだろう。
心配するだろうか。
もしかすると、家を訪ねてくるかもしれない。
だとしたら、母は彼女に何と説明するだろう。
ネズミと行くということは、同時に、母は勿論、彼女とも決別するということだ。
このまま一生会えないかもしれない。
考えて、心が揺らぐ。
何一つ言葉も残さずいなくなる自分を、彼女らはどう思うだろう。
せめて何かひとこと、そう思うが、この状況下では無理な話だということも知っている。わかっている。
きゅっと唇を噛み締める。
それでも、ネズミと行く方を選びたかった。
理由は、何だろう。
これまで生きてきた全部捨ててもネズミを選ぶ、その理由は何なんだろう。
自分でもよくわからない。
ただ、その先にあるものに価値を見出しているわけではなくて。
ネズミと別れたくない。
もっと一緒にいたい。
いくら考えても、理由はそれ以外見つからなかった。



無言になってしまった紫苑を気にしながらも、ネズミはこれからのことを考えなければならなかった。
そうだ、天然坊っちゃんは利用するだけ利用したら置いていくだけだ。関係ない。気にするな。
本気でついてくるつもりでいるらしいが、地下の状況を見れば気も変わる。たぶん、入り口で鼻をつまんだまま、1歩も動けなくなるだろう。
紫苑はそこで置いていく。それでいい。
だから、気にしている場合じゃない。
廃棄ルートK0210の入り口は、多分、治安局に先回りして包囲されている。だったら。
頭の中で地図を描く。
K0210から枝分かれしている狭い通路のうちの一つを使うか。L015なら、此処から近い。
小ネズミから得た情報によれば、内部が入り組んでいてかなり狭い。大人では中腰に成らざるを得ないが、子供なら少し屈んだだけで駆け抜けられる。
K0210に合流後は、西へ移動。
さらに別の横穴を通り、森林公園の地下まで辿りついたあとは、車を奪い、ロストタウンを抜けて、ゲートを壊してゴミ処理場まで一気に走り抜ける。
車の運転は数度やっただけだが、仕組みは知っている。動かすくらい、わけない。
大丈夫だ、やれる。
ぐっと拳を握り締めた。
走り寄り、肩に乗ってきた小ネズミにその旨伝え、行けと命じる。チチ!と鳴くと、小ネズミが肩を駆け降り、伸ばしたネズミの指の先から跳び出すと、素早く脇の茂みへと姿を消した。
ややあって、ルートを確認した小ネズミが戻ってき、再びネズミの肩に駆け上がり、盛んに首を振ってチチチと鳴き、報告をする。
よし、とネズミが頷首すると、再び駆け出し、ネズミを追い抜き、茂みへと飛び込んだ。
「走るぜ」
傘を下げて顔を隠し、ネズミが紫苑の耳に囁く。
えっと驚く間もなく腕が強く引かれ、走り出したネズミに引っ張られるようにして、紫苑は道の脇へと進行方向を変えた。
強い風に、空色の傘が煽られ、宙を舞う。
だがもう、気にしている余裕はない。
あとはもう、ただ引っ張られるままに、雨の中、道なき道を走り回った。



小ネズミが見つけたきた地下の入り口は、噴水公園を取り囲む木々の中に存在した。
天気が良ければ、のんびりと犬でも連れて散歩を楽しむクロノスの住人たちに、さぞや怪しまれたことだろう。
マンホールの蓋に手を掛け、慎重に開ける。
長く使われていなかったそれは、周囲が錆びついていた。が、ネズミが渾身の力で引き上げれば、軋んだ音とともにぱくりと開いた。先に小ネズミが入り、内部の情報をネズミ知らせる。
どうやら、このルートはマークされていないらしい。
そもそも、廃棄ルートがどこにどう繋がっているかなど、治安局は勿論、保健衛生局でも把握しきれていないんだろう。
不必要なものの管理など、誰が好んでするものか、このNO.6で。
そうして、汚水はろくに処理もせず、西ブロックに流される。
汚いものは、全部壁の外に捨てればいい。
物も人も。
そうして、内側の衛生と健全が保たれれば何も問題はない、表面上は。
(…傲慢なことだ)
ネズミが忌ま忌ましげに内心で吐き捨てる。
ふと紫苑を見た。
彼もまた、NO.6を象徴するひとつだ。
無知で傲慢で、そして恐怖心もろくに知らない。
怖いもの知らずだ。
自身の夢や希望は、すべて叶えられると信じている。
思い上がっている。
「わ、この穴の大きさじゃ、リュック背負っては無理かな。先に下に落としたほうがいいかな」
「必要ない」
「え?」
「聞こえなかったか? 必要ないと言ったんだ」
ぴしゃりと言われ、紫苑がきょとんとする。
「え、でも。救急ケースも入ってるし、まだ食料も少しなら」
「残った食料は、あんたが家に帰ってから食えばいい。遠足のおやつのあまりだとでも思って」
「…どういうこと?」
「言っただろ。ここで、バイバイだ」
感情を入れずに、ネズミが告げる。紫苑の瞳が大きく見開かれた。
「ネズミ、ぼくは一緒に行くって昨日もきみに…!」
「おれとあんたは互いに相容れない、異質のものなんだ。一生かかっても理解できない、この先も道が交わることはない。だから一緒には行くことはできない」
「ネズミ…」
「あんたはあんたの行くべき道に戻るんだ。多少逸れたとはいえ、今ならまだ軌道修正が可能だろ」
「ぼくは、ぼくの行く道は、きみの進む道とも交わってると思うよ、きっと、だから…!」
「幻想だ」
「ネズミ!」
「夢見がちな坊っちゃん。冒険は終わりだ、もう充分楽しんだだろう。それで満足しろ。ここから先は『冒険』じゃない。生きるか死ぬかの本気の戦いだ。あんたじゃ戦士になれねえよ」
「きみの言いたいことはわかる、ぼくが足手まといだってことも知ってる」
「なんだ、わかってるじゃないか。だったら話は早い。これ以上おれの邪魔をするな」
「きみは一人で逃げたらいい。ぼくは勝手についていく。ゆうべもそう言った。それにまだ先は長いだろ? ゲートを突破するまで、人質がいた方がきっと逃げやすい。必要だって、きみ言ったじゃないか、だったら最後まで有効に使えよ…!」
息つぎもろくにせず、一気にまくしたてる紫苑に、ネズミが言葉を詰まらせ、怪訝そうに眉を潜ませる。
なるほど。ネズミに言われることを予測して、反論する台詞を予め用意していたのか。
まったく、何でも言葉で解決できると思っている、頭の良いお坊っちゃんはこれだから。
こんな状況下だというのに、まったく呆れる。
そして一時、言いくるめられている自分にも驚く。
だが、驚いている場合ではなかった。公園内の入り口から治安局の車が入ってきた。まずい。
「あんたは、そこでいつまでも御託を並べてたらいい」
冷たく言い放つと同時に、ネズミが紫苑に背を向け、大人がやっと通れるほどの狭いマンホールの中へと、ひらりと身を翻す。
はっと振り返り、治安局の車に気付くと、紫苑も遅れてマンホールの梯子へと足を掛けた。狭い穴にリュックが引っ掛かり、邪魔になる。投げ落とそうかとも思ったが、下が水路であることに気付くと腕に掛けた。重みでバランスを崩しそうになる。
そうして、苦労しつつも内側から蓋を閉めると、中は薄暗がりの闇に包まれた。
同時に、目や鼻を汚物の悪臭が襲う。今まで嗅いだことのない強い刺激臭に息が出来ない、目が開けられない。
目を刺すような痛みに涙が滲んだ。胸がむかつく。胃が逆流する。
梯子から、半ばずり落ちるようにして、紫苑は足元のぬかるみに降り立った。途端に、胃が押し上げられ、嘔吐感が込み上げてくる。
「…うっ」
滑った壁に手を掛け、慌てて口を押さえたが間に合わなかった。紫苑は蹲るように身体を折って、その場で激しく嘔吐した。
暗闇の中、ネズミの声がした。
「分かっただろう。あんたには無理だ」
静かな声が頭上から降ってくる。
それは蔑んでいるわけでもなく、罵っているわけでもなく。どこか哀れんでいるような、そんな声音だった。
「あんたとおれでは、住む世界が違うんだ」
その声が、紫苑に現実を突き付ける。
どれだけ求めようと、一緒にいることはできない。頭で考えても解決しない。感情だけではどうにもならない、これが現実なんだ。
「ここまでだ。あんたとは」
まるで自身に言い聞かせるようにネズミが言い、背を向ける。小ネズミが、何か言いたげに足元からネズミを見上げ、小さくチチッと鳴いた。
「ネ、ズミ…」
こんなところに置いていくのは偲びないが、やがて治安局がこの中にも踏み込んでくるだろう。発見されるまで、少しの我慢だ。ネズミが、胸で呟く。
それでも一緒に行きたいと言ってくれた紫苑の言葉は、素直に嬉しかった。
だが、もう充分だ。
「――悪かった。あんたを巻き込んだこと、すまなかったと思ってる」
背を向けたまま、噛み締めるようにネズミが言った。紫苑が荒い息を吐き出しながらも、はっと瞳を見開く。
暗がりの中、向けられたその背がやけに小さく見えた。
「待っ、て」
紫苑がぬかるみの中で、這い擦るようにして手を伸ばした。
このまま、行かせたくはなかった。
「ネ、ズミ…っ」
ネズミが、ビクリと動きを止めた。走ろうとした足首に、紫苑の指が掛かる。
力が入らないまま、それでも懸命に掴んだ。
縋るつもりはない。
待って、というつもりもない。
ただ、伝えたかった。
「ぼくはきみに、謝られることなんか、なにもない…っ! それに」
リュックを足元に捨て置き、吐き気が止まらない口を押さえながらも、紫苑がよろよろと立ち上がった。
「言っただろう。ぼくはぼくで、勝手についてくから、って。まだ、ギブアップ、なんてしてない、無理かどうか、まだわからない、だろ。あんまり、ぼくを、見くびるな…っ」
強気の発言にも関わらず、声は震えていた。膝もがくがく震えている。振り返らなくても、かなり悲惨な有り様だということは安易に予想がついた。
それで、ついてくるだって?
あんた、本当にどうかしてる。
不意に、ネズミが笑った。
だけど。そんなあんただから――。
「なるほど、よくわかった。あんたは、おれが思ってたよりずっと、負けん気が強いんだ」
「今頃、わかったの、か?」
「あぁ、わかった。だったら好きにするといい。おれはおれ、あんたはあんたで勝手にするさ」
「望むところだよ…」
今一つ迫力に欠ける声で返せば、フッと笑って、ネズミが合図のように走り出した。ついてこれるものならついてきてみろ、とそんな風に。
小ネズミが、紫苑を気にしながらも慌ててネズミを追いかける。水先案内人の役目を果たすべく、ネズミを追い越して前方に回った。
紫苑も急いで後を追う。もたついていては、この薄暗がりの中、あっという間にネズミの姿を見失ってしまう。
ぐいと口の汚れを手の甲で拭い、滑る足元にスニーカーの靴底を捕われながらも走り出す。
やがて、暗さに目が慣れてくると、縦横無尽に走る地下水路が闇の中に浮かび上がってくる。嘔吐で汚れたベストを脱ぎ捨てると、少しだけ身軽になった。
鼻も馬鹿になってしまったのか、異臭もあまり感じない。
―行ける、追いつく、絶対に。
唇を噛み締めて、前を見つめた。
ぬかるんだ通路に足を取られ、少し走っては、何度も転んだ。その度、懸命に立ち上がる。身体中が痛かった。でも休むわけにはいかない。
勝手についていくと言ったのは自分だ。ネズミは好きにすればいいと応えた。
その代わり、おれはあんたを助けない。
ついてきたいのなら自分の力で勝手についてこい、と。
だから、そうする。彼にも自分にも甘えない。
足手纏いになるとわかっているけれど、無謀だとわかってもいるけれど、それでも自分の決意から目を背けたくはなかった。
ふいに、足もとでチッと低い鳴き声がした。
小ネズミは先に行ったはずなのにと驚きながら見下ろし、さらに驚愕した。
声の主は、やはり小ネズミではなかった。
それよりもやや大きいサイズの灰色の溝鼠が、隧道の奥から続々と合流してきていたのだ。



地下の廃棄ルートは、治安局が既に包囲網を張っていた。予想に違わず、だ。
地上での移動は正解だった。
だが、クロノス居住区の入出には、ゲートでIDブレスレットを呈示して、居住権があることを証明しなければならない。ゲートを通らないためには、最終的には地下を使うしかない。
つまり、そういうことだ。
上では泳がせておいたらいい。いずれ、地下に降りるしか手はなくなる。
所詮、やつは溝鼠だ。下水道の汚物が好みなのさ。
下卑た嘲笑が聞こえてきそうだ。ネズミが皮肉げな笑みを口元に張りつかせる。
とはいえ、たかが子ネズミ一匹に大仰なことだ。
さぞや上の者は、嘆きの溜息をついていることだろう。
だがこちらも何の策も持たず、地下に降りたわけじゃない。ネズミがにやりと笑む。
もっとも策があろうがなかろうが、一度この廃棄ルートを使ったことのあるネズミの方が、重装備の局員より断然有利なことは間違いなかった。
それに何といってもあの時は、体力が既に限界値を越えていたのだ。
疲労、空腹、そして、傷の痛みと出血。
まだ走れていたのが自分でも不思議なくらいだった。

生きたい、こんなところで死ぬもんか。
そう思いながらも、意識は次第に朦朧となり、じわじわと諦めがネズミの心を侵食し始めていた。
そんな時。ふと疑念が湧いた。
果たして、生き延びて、その先にいったい何があるというのだろう…?
育ててくれた老婆は殺された。還る森は既にない。
残されたのは、西ブロックの地下室と、本と、小ネズミたち。
待つ人はいない、もう誰も。
たとえ生きることを諦めても、咎める人もいない。だったら。
もういいんじゃないか…?
もう疲れた。眠りたい。たとえ泥水の中でいい。休息が欲しかった。
たとえ、それが永遠の休息となっても構わない。
生きることをもう、このまま手放そうか…?
――出逢ったのは、そんな時だった。
窓が開いた。奇跡の窓が開いたのだ。
笑うかもしれないが、紫苑。
あんたは、死の暗闇でおれが見つけた最後の希望の光だった。

暗い隧道の中、次第に近づいてくる複数の足音を聞きながら、ネズミが笑む。
不気味に地下道を反響しながら接近している靴音に、ナイフを取り出し、走りながら臨戦体勢を取った。
間もなく、K0210に合流する。
狭い横穴から、白いコンクリート壁の広い空洞へと猛然と跳び出した。銃口が向けられる。複数の銃から一斉に発砲された。
パン、パンと連続して放たれたそれを、ネズミは素早く身を低くしてかわし、一気に駆け抜ける。ナイフがきらりと鋭く光った。銃を持った男の腕から血飛沫が上がる。
ぎゃあっと悲鳴を上げたのは、別の治安局員だった。小ネズミが目にも止まらぬ早さで戻ってくる。
チチ!とネズミの肩に登ってかん高く鳴くと、次いで、別の場所からも続々と悲鳴が上がった。
横穴から飛び出した灰色の溝鼠が、無数に白い壁を駆け上がってくる。あちらこちらで局員の悲鳴と銃声が上がり、銃弾が跳ねる音がコンクリートの壁に反響した。その中を、ネズミが駆け抜け、奪い取った銃で応戦する。
パニックに陥った局員らが救援を要請したのか、水を跳ねて近づいてくる足音がまた増やされたようだった。ネズミが舌打ちを落とす。しつこい奴らだ。
だが、あまりここで長居していては不利になる。
ネズミは行く手を塞ごうと目前で銃を構えた男に足払いを掛け、バランスを崩して倒れてきたところを鳩尾めがけ、思いきり膝をめり込ませた。男がぐわぁと呻きを漏らし、顔から汚水に落下する。
別の横穴に飛び込んだ小ネズミが逃走ルートを先導し、ネズミを呼んだ。ネズミがそれに応え、踵を返す。
が、男は、思いのほか、体勢を立て直すのが早かった。蹴り倒した男に足首をつかまれる。
「チッ…」
ああまったく。今日はやけに足を掴まれる日だ。
思いながら、だが、男の割れた額を蹴ろうとして、ネズミは一瞬躊躇した。
この靴は、紫苑のものだ。
紫苑が、ネズミにくれたものだ。
この靴をネズミに履かせるためにわざわざ追いかけてきたのだ。
その靴底が、男の流した血で汚れる。
それは、同時に紫苑の白さをも汚すような気がした。
むろん、そんな躊躇の時間は1秒にも満たなかった。だが、その瞬きほどの空白の時間が、戦いにおいては命取りになる。言われるまでもない、そんなことは身を以って知っている。が、結果として、それは僅かな隙をネズミに齏した。
溝鼠に鼻をかじられていた別の男が、その隙をついてネズミへと銃口を向ける。はっとなる。
小ネズミが素早く銃身に飛びつく。
だが、遅かった。間に合わなかった。

――パァン…!

銃声がトンネル内に響き渡った。
ネズミが大きく瞠目する。心臓の辺りがぎりっと痛んだ。

目の前を、
スローモーションのようにゆっくりと、
赤い花のように血が舞った。
紫苑が、
倒れていく。

「紫苑…?」

咄嗟に、倒れ込んできた身体を両腕に抱きとめる。紫苑を撃った男の喉元に、小ネズミが喰らいついた。それを合図に溝鼠たちも男に襲いかかった。悲鳴が反響する。
だが、ネズミの耳にはその声さえ入ってこなかった。
何も聞こえない。
一切、何も。
「紫苑……?」
腕の中でぐったりしている紫苑に、茫然と呼びかける。抱いた手が、べっとりと鮮血に滑った。
ネズミの背をぞわりと冷たいものが走る。それは恐怖と名のつくものだったかもしれない。
「紫苑! 紫苑、紫苑っ! しっかりしろ、紫苑!」
懸命に呼びかける。だが、返事はなかった。
濃灰色の瞳が限界まで見開かれる。

まさか。そんな。
そんなこと、ないよな?
このまま目を開けないなんて、
そんなこと、ないよな…?
あんたがこんなことになるなんて。
おれをかばって、まさか、あんたが。

恐慌がネズミを襲う。
小ネズミがかん高い声を上げた。はっと我に返る。
そうだ、立ち止まっている場合じゃない。
此処に留まっていては、どちらにせよ、二人とも命はない。
先ほど小ネズミが示した横穴へと、紫苑を腕に抱えて猛然と飛び込む。
穴は狭い。子供の背よりも天井は低かった。その分、大人では侵入が困難だ。入り口は、溝鼠たちが護ってくれている。
今のうちなら、少しなら。
「紫苑、しっかりしろ、目を開けろ! 紫苑…! あんた、いったいどうして…!」
「…ネ、ズミ…」
ふいに、ネズミの呼び声に青白い瞼が震え、紫苑が薄く目を開けた。
消え入りそうな声で、ネズミを呼ぶ。 
濃灰色の双眸が大きく見開かれた。
紫苑を腕に抱えたまま、婉曲する壁に凭れ、ずるずると坐り込む。
紫苑が、視点の定まらない瞳でネズミを見上げた。
「けが……して、ない…?」
「おれは大丈夫だ。怪我したのは、あんたの方だ」
言って、切なそうに唇を噛み締める。紫苑が、ほっとしたように肩で息をついた。
「よかった…」
「良くないだろ、ちっとも。なんで、あんたが…!」
悔しげに赤らむ目許に、紫苑が微笑んで、そっと指先を伸ばした。
「ぼくは、だいじょうぶ…かすった、だけ…だから……縫合、の必要も、ない、し……あ、でも、失敗。リュック……置いてきちゃ……た」
「…あんたな」
「まぁ、あっても一緒か、きみじゃ、縫合はできない、よね」
「こんな時に、何言ってんだ。本当に、天然だな、あんた…」
紫苑を腕に抱きしめて、つい涙声になるネズミに、紫苑が安心させるようと懸命に微笑んで言う。
「…あれ? 心配してくれて、るんだ? きみが、心配してくれるなんて、なんかうれしいな……でも本当、大したこと、ない。へーき」
「バカ、平気じゃないだろう!」
ネズミが怒鳴りながら、紫苑のシャツの袖を裂いて傷を見る。確かに弾は掠めただけのようだった。
シャツを引き裂き、止血のため、紫苑の腕を縛る。
傷は浅い。
だが、出血が止まらない。
腕を伝い、あとからあとから滴り落ちていく。
まさか、血液凝固阻止剤が弾に? 
考えてぞっとする。
同じ目に遭わせてしまう。二日前の自分と同じ目に。まさか、そんな。
青ざめるネズミの顔を見つめ、静かに紫苑が告げた。
「ごめん……行って」
「紫苑…?」
「行って、ネズミ」
「…っ」
意味を解して、ネズミがぐっと言葉に詰まった。
置いていけと言っているのだ。
この状況で。
いよいよ足手纏いになると知って。
馬鹿か、あんた。
今ごろ気付くくらいなら、なぜもっと早く気付かない。遅いだろ。
「ぼくは、大丈夫…」
「…あんた」
「約束だから」
「……紫苑」
「置いていって……ネズミ……」
言いながら、紫苑の瞳から涙が溢れた。
わかっている。かなしみの涙じゃない。悔しいのだ、言わなくてもわかる。
紫苑が、ぎゅっと唇を噛み締めた。
「自分の力で、ついてく、っていったのに、情けない、な……」
涙が、ぽろりと頬を伝い、流れ落ちた。
それでも、紫苑は此処まで自分の力でついてきたのだ。溝鼠たちに護れと命じたが、連れてこいとは言っていない。自分の意志で、足で、暗闇の中、汚物と悪臭の中、懸命に追ってきたのだ。
「…情けなくなんかない、あんたは、充分、すごいよ。見直した」
そして、凶弾の前に、ネズミを庇って飛び出せるほど、勇敢だった。
「……ありがとう、ネズミ」
ネズミがぐっと奥歯を噛み締めた。
礼の言うのはおれの方だ。
生きることを諦めかけていたおれに、あんたは傷の手当てをしてくれて、あたたかい食事と、やわらかなベッドを与えてくれた。
温もりとやさしさをくれた。
生きる希望を与えてくれた。
誰も信じられなくなっていた、おれに。
あんただけが、教えてくれた。
人は、確かに、人に救われることがあると。
「ち、くしょう…っ!」
言うなり、紫苑を腕に抱えて立ち上がる。
これ以上は此処も危険だ。鼠たちはこの間も応戦してくれている。のんびりしている猶予はない。
「ネズ…ミ?」
「掴まれっ」
怒鳴られ、紫苑が瞳を見開かせる。
「ネズミ、ま、待って…ぼくは、置いていってって…」
腕の中で緩く抵抗して、また怒鳴られた。
「うるさい、あんたは黙っておれに掴まってろ!」
「でも…」
反論しようとする言葉に耳を貸さず、紫苑の片腕を首に無理矢理回させる。
「言っただろう、あんたはおれの大事な人質なんだよ! ここでくたばられちゃ困るんだ! おれがNO.6を無事脱出するまでは…」
「ネズ、ミ」
「あんたはおれから離れるな!!」
小ネズミが足元を駆け抜ける。銃声が近づく。
ネズミは紫苑を腕に抱きかかえたまま、狭い通路を猛然と駆け出した。








つづく
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